オーストラリアのメルボルンを拠点とするサッカーのヴィクトリア州1部リーグのチーム「Avondale FC」。そこで唯一の日本人選手として活躍する人物が関谷さん。シドニーでのプレイ時代には2018年最優秀選手賞も獲得。サッカー選手として華やかな活躍を見せる一方で、子ども向けのサッカースクールと留学エージェントの仕事もこなす日々。そんなマルチワークこそが、海外拠点のアスリートである関谷さんだからこそ出会えた生き方でした。
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“サッカー”と”日本人”を軸としたマルチワーカー
水嶋: オーストラリアでサッカー選手!という訳ですが、ほかにもお仕事をされていると。詳しく聞かせてください。
関谷: はい。メルボルンに拠点のある州1部リーグ、「Avondale FC」に所属するサッカー選手です。そのほか、日本人や日系の子ども向けのサッカースクール運営と、日本人向けオーストラリア留学エージェントが仕事です。
水嶋: 選手一本という訳ではないんですね。
関谷: プロというよりセミプロという位置づけですね。給料はもらえるのですがそれだけで生活するには厳しいので、チームメイトもほぼ全員が別の仕事を持っています。
水嶋: 私全然スポーツにうとくて、サッカーにおいてセミプロという世界があるということをいまはじめて知りました。どういう給与体系なんですか?
関谷: 週3日の練習と、土日のどちらかに試合があります。給料は試合給という形で、試合ごとに勝敗で金額が決まるのですが、選手によっては出場したらいくらという人もいます。
水嶋: ということは月に1試合分の給料が4~5回支払われるんですね。金額にもよるけど、その回数だと確かに掛け持ちでないと厳しい感じがする。
関谷: そうですね、オフシーズンだと試合そのものがないので。
水嶋: そっか!そうなりますね…。
関谷: ただ、地元で家があるオーストラリア人の若い選手だと、上を目指すためにオフシーズンもサッカーに集中していたりしますが、少数派です。
水嶋: 上を目指すというと、それ以上のリーグがある?
関谷: Aリーグです。オーストラリア全国規模となる唯一のプロリーグ戦なので、もちろんサッカー選手の給料だけで暮していけます。
水嶋: なるほど。関谷さんのような外国人選手は多いんですか?
関谷: 外国人選手枠というものが、州1部リーグだと各チーム2人まであるんです。5部くらいの下位になると関係なくなったりしますが。ただ、いっしょにしたら怒られるかもしれないけど、うちのもうひとりの外国人選手はニュージーランド人なので、外国人は私だけという感じですが。
水嶋: 確かに。そして、「怒られそう」というのも分かる(笑)。
※ニュージーランドとオーストラリアは文化が似ているものの、もちろん違う国なので、たいていの場合はいっしょにされることを嫌がります。
水嶋: サッカースクールのお仕事はどんな内容ですか?
関谷: 週2~3回、子どもたちの学校終わりに合わせて夕方4~5時に1時間ほど教えています。
水嶋: 日系の子たち対象となると、日本語で?
関谷: 日本語と英語を混ぜながらですね。ハーフの子が半数以上ですが、日本語のヒアリングはできるけど返答は英語だったり、逆に僕ら運営チームは英語は分かるけど返答は日本語ということもあります。ただ親御さんとしては『日本語を使う機会がほしいから』という動機で通わせる方も多いです。
水嶋: へぇー!そういうニーズがあるんですね。
関谷: ほかにも文化や習慣に期待されるところもあるので、あいさつや片付けという日本っぽいところは口うるさく言うようにしています。あとは月1回、技術に特化したクラスを開いていて、そちらは国籍関係なくいろんな子どもが集まります。オーストラリアはフィジカル寄りのスタイルが多いので、日本のサッカーの技術的な部分を教えてほしいという声もあるんです。
水嶋: 海外において日本のサッカーはそんな需要があるんだ。
水嶋: 留学エージェントの方はどうですか?
関谷: これは今年に入ってはじめたばかりですが、日本からオーストラリアへ留学したいという方の希望をヒアリングして、それに合わせた学校を紹介するというものです。
水嶋: これはサッカーと関係なさそうですね。
関谷: はい。もともとは知人から「興味のある人はいないか」と聞かれて、だったら自分がやりたいと希望したんです。
水嶋: なるほど。それにしても…どれもコロナの影響を受けそうですね。
関谷: そうです。試合も開かれず、留学も来れませんから。いちおう1対1のトレーニングは許されているので、マンツーマンで教えるくらいですね。
日本とカンボジアで辛酸を舐め、新天地で大活躍。
水嶋: サッカーはいつ頃からはじめたんですか?
関谷: 3つ上の兄がやっていた影響で、4歳の頃に地元の少年団ではじめました。それから中高では湘南ベルマーレのユースチームに所属して、スポーツ推薦で青山学院大学へ進学したんです。
水嶋: プロの道まっしぐら!という感じですね。
関谷: 小さい頃からプロになりたくて。ただ、一般的に、大学4年の夏にJリーグから声がかかるんですが、3部からだけで給料はありませんでした。そこを断ったあとにまたJリーグの別のチームから練習に参加してほしいと言われましたが、こちらも最後は選手に選ばれることはありませんでした。
水嶋: うん、うん。
関谷: そこで落ち込んでいたとき、当時アルバイトしていたサッカークラブのコーチから「オーストラリアでプレイしてみないか」と言われたんです。
水嶋: そこで海外との接点が。それにしてもなんでまたオーストラリアで?
関谷: そのクラブの卒業生や関係者が過去にプレイしていたからです。
水嶋: なるほど。
関谷: ならばと、1~2年頑張って、日本で就職しようと思いました。
水嶋: そこ、最初から1~2年と考えた理由はなぜですか?
関谷: 過去にプレイした人たちが実際にそれくらいで帰ってきたから、当時はそれが当たり前だと思っていたんだと思います。なにより、大学からそのままJリーグに入れなかった時点でプロの道は諦めていて、頑張って這いあがっていく人もいるけれど、自分にはそのイメージができなかった。それに1~2年で戻れば学歴を就職活動で活かせるという理由もありました。
水嶋: それで渡った結果、オーストラリア5年目になるんですね。
関谷: はい。ただオーストラリアでのトライアウトは半年先でまだ時間があった、そんなときにちょうどカンボジアのプロリーグで選手を探しているという話があったんです。正直なところカンボジアはサッカー後進国ですが、給料自体は高くないけど、物価からすれば高給で貯金もできる。コミュニケーションも英語。金銭的にも語学的にもよいし、なによりもサッカーができる。事前に送っていたプレイビデオの反応もよかったので、実際に行って、合流して、一週間後に「もう帰っていいよ」と言われてしまったんです。
水嶋: な、なぜ??
関谷: カンボジアに行くことを舐めていて、そんな気持ちが伝わってしまったんだと思います。助っ人として行く訳だから絶対的なパフォーマンスを求められると思いますが、準備も覚悟も足りずにいいプレイができなかった。
水嶋: 向こうもそれを見定めようとしていたんですね。
関谷: そこで「このままオーストラリアに行ってもダメだ」と思い、スイッチが入りました。それまでオーストラリアについて調べていなかったんですが、プレイ経験のある人たちに連絡をとったり、高いレベルを求めるならシドニーに行くべきだと思いその地域に強い代理人に変わってもらったり。
水嶋: カンボジアでの経験が、オーストラリアに向かう力になった。
関谷: あの経験がなければオーストラリアで契約できなかったと思います。
水嶋: ちなみになんですが、代理人の方は日本人ですか?それともオーストラリア人や、外国人??
関谷: いや、日本人です。
水嶋: へぇ!アジアでもそうでしたけど、日本人のサッカー選手って世界各地にいますね。むずかしい質問かもしれませんが、これってなぜですか?
関谷: そうですね、僕らが小さい頃にJリーグができて、その成長とともに三浦知良や中田英寿が世界で活躍したのは大きなきっかけだと思います。それにいまはインターネットの発達で情報も入りやすい。あと、日本人のサッカー選手はどこの国でも評判がいいんですよ。
水嶋: へぇーーー、具体的にいうとどんな??
関谷: 技術面での需要は間違いなくありますが、ほかに監督の指示を聞く。国によってはわがままな選手もいますので、選手として使いやすいんです。
水嶋: そうなんですね、日本人らしい強みでおもしろい。
アスリートのセカンドキャリアに備えたマルチワーク
水嶋: アスリートって、ある種の職人のように思っていたんですが、前に話を聞いた笠原さんみたいにほかの仕事をしながらという方も多いんですね。
関谷: どこかで身体的な限界がありますからね。トップ選手で、それこそ誰でも知っているような人でないと食っていけないと思います。僕にとっては一生の悩みだから、サッカー以外のところでも頑張れてるのかもしれない。
水嶋: とくに留学エージェントは…セカンドキャリアを意識してますよね?
関谷: めちゃくちゃしてます。
水嶋: ですよね!でも、そう考えると、このオーストラリアでのマルチワークスタイルって、まさに海外に出たことで築けられた強みじゃないですか?
関谷: それはありますね。いま僕は収入源をみっつ、3割ずつくらいにしたいと思っているんです。セミプロということもあるけど、サッカー選手はリスクを伴う職業で、怪我をしたら給料が出なかったりする。そうしたリスクヘッジはオーストラリアに来て2年目くらいで気づいたこと。なのでいま、セカンドキャリアに活かせる経験を培うという目的もあってここにいます。
水嶋: それがもし…日本だったら、どうでした?気づけてましたか??
関谷: 日本だと週5で練習があって、働くとしてもスポンサーのところだけだったと思います。それが海外でも、もしサッカー先進国だと他チームに引っこ抜かれるから、いまのような価値観は得られなかったと思いますね。
水嶋: いいですね、いいですね。サッカー選手としてはそのままJリーグに入ることがひとつの成功だろうけど、マルチワークという意識は根付くこともなかったろうし、それは必ずセカンドキャリアの助けになるでしょうね。
関谷: ただ、いまはそれを上回る騒動(コロナ)が起こっちゃったんですけどね。試合もないので、今後自分が選手としてどうなるかは分かりません。でも、この考えは大事にしていきたいと思っています。
水嶋: そうですね。そのほかで変化はありますか?たとえば精神面とか。
関谷: オーストラリアでの生活の中で、だいぶオープンマインドになったと思います。それまでは典型的な日本人で、周りを気にするし、空気を読むタイプだったんです。でもこっちに来てからは、自分は自分で人は人と割り切るようになり、だいぶ変わったなと自分でも思ってます。マルチワークも、もし日本なら「ひとつに絞れよ」という価値観の人が多いと思うんですよ。
水嶋: あ、分かります。「石の上にも三年」の国ですからね。
関谷: だけどいまは、これも頑張って、これも頑張って、これも頑張って、そうしてぜんぶがつながっていく。そういう考えを大事にしたいです。
海外経験後のキャリアに悩む友人がいれば何と言う?
“いつも言う言葉があるんですが、「周りはそんなに君のことを見てないよ」ですね。なので、自分の好きにしたらいいんじゃないか、そう思います。(関谷祐/2016~オーストラリア在住)”
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