
笠原園花さんはチアリーディングで3度の世界大会出場経験のある、トップアスリート。チアの道を走りながら、韓国留学、ドバイ勤務、オーストラリアでチア選手、と、さまざまな海外生活を送ってきました。そんな彼女はいま日本に戻り、米国公認会計士の資格取得に向けて勉強中。コーチも行えチアで生計を立てられる人が、なぜ?その背景にはチアひとつだけでは収まりきらない、笠原さんが抱く望みと社会への挑戦がありました。私はお仕事で絡んだこともあり少し事情を知ってるという前提でお読みください。前後編の前編です。
トップアスリートは現在一時帰国中
水嶋: 笠原さんを人に伝える上でまずなによりもチア!と思うんですけど、私自身のアップデートも兼ねて…まずはいまのお仕事を聞かせてください。
笠原: 母が経営する会社の手伝いをしています!高齢者や障碍者の方向けのグループホームで、その営業やマーケティングがいまのおもな仕事です。
水嶋: そうなんだ。SNSで見てたけど、この半年間は激動だったんじゃないですか?だって笠原さん最近までは、メルボルン(オーストラリア)の強豪チアリーディングチームで活躍していて、世界大会を目指すために自身のビザの手続きに奮闘していた。ただでさえ大変な状況に、このコロナでしょ。
笠原: いやほんと…そうですね(笑)。
水嶋: そのへんの話と、今後についてもじっくりと聞きたいけど、まずは笠原さんとチア、そして海外の関係について、お話しいただけますか?
笠原: はい!

チアリーディングがひらいた海外経験
笠原: チアリーディングは高校に入ってはじめました。3歳の頃から日本舞踊とバレエ、小学校からジャズダンスやヒップホップダンスと表現スポーツをつづけてきて。高校の新入生歓迎会ではじめてチアリーディング部の先輩たちが宙に舞う姿を見て『私も舞いたい』『できるはず』と思ったんです。

水嶋: そして部活を経て、卒業後もチアをつづけた。
笠原: はい。大学は強豪チームがある青山学院に入学。それからアジア大会で外国人選手と仲良くなった縁で、タイで強豪チームの練習に参加して、練習のゆるさに驚いたり、留学中の韓国では高校や社会人チームに参加して、そもそも国がスポーツを重視してなかったり。自分が知るチアとまた違っていて世界ではどんな練習をしてるんだろう?と興味が広がっていきました。

水嶋: チアがひらいた海外ですね。
笠原: そうなんです。それもあり就職活動では海外拠点のある大手メーカーで内定をもらっていたんですが、そこは入社後半年で辞めてしまいました。
水嶋: どうして?
笠原: 卒業前、留学時代の友人たちを訪ねる旅をしたんです。アジアや北米、あとドバイ。そんな中で彼らが自分の将来をワクワクしながら話す姿を見て『私はどうだ、周りと同じように就活しだだけ』と思いはじめました。
水嶋: 日本の就職システムは全国行事みたいなところありますもんね。
笠原: そんな中でもとくにドバイに衝撃を受けたんです。留学中に付き合っていたドバイ人の彼氏に案内してもらったんですが、高級車が当たり前に街を走り、高速道路はレース場のような非日常感で、世界一高いタワーのブルジュ・ハリファに7つ星ホテルのアフタヌーンティー…想像以上にキラキラと輝いていて、『いつかここで働きたい』と思うようになったんですよね。

水嶋: 楽しかった旅行、で終わらないところがすごいわ。
笠原: そんな将来にワクワクしていない自分と、ドバイでの衝撃があって、マンモス企業で入社後すぐの若手社員が海外の部署に行ける様子もなかったので辞めて、ドバイに行けそうな貿易会社に猛アタックして転職しました。
水嶋: 有言実行だ(笑)。ちなみにそのときチアはどうしていたんですか?
笠原: 実は社会人になったタイミングで離れていたんです。ずっとチア漬けの生活だったので、『ふつうの暮らしってどうなんだろう』と思っていて、それもあって自分なりにふつうの就職をしたのかもしれません。でも結局、チアのない生活は退屈すぎて、社会人チームに入りました。
水嶋: じゃあ日本では、チアへの情熱とドバイへの憧れがあった訳ですね。
笠原: はい。なんですけど、ぶつかりあうこともあって…。
水嶋: ほうほう。
笠原: 所属チームの選手として世界大会に出ることになったんです。
水嶋: でっかい話だな~。
笠原: そのときはすでに転職した会社でドバイ駐在が決まっていたんですが、『世界大会が終わったら引退するからそれまで待ってほしい』と伝えて、その希望を汲んでもらっていました。
水嶋: 念願のドバイ生活に『待った』をかけるほどチアへの情熱もすごかった。つまりドバイとチア、同じくらいの存在感だったということですよね。
笠原: そうなります。でも、世界大会の結果は散々で、引退を決めていたはずなのに心残りが募るばかりで。ドバイ駐在後もずっと『この選択でよかったのか』という葛藤を抱えながら働くことになりました。

念願のドバイ生活とチアのあいだで
水嶋: ドバイでの生活はどうでしたか?
笠原: ドバイという環境そのものは楽しかったです!それまでとは全然違う雰囲気で、宗教が影響する生活…たとえばアルコールが飲めないことや、ほかにもインド人がめちゃくちゃ多いとか、新しい世界を見れました。また、海外で営業として活動できたことはキャリアとしてよかったと思います。
水嶋: 具体的にはどんな仕事を?
笠原: 中東市場に日本製品の輸出ネットワークをつくる営業を担当していて、おもに食品と太陽光発電関連を受け持っていました。商談する場所も、高級レストランだったり砂ぼこりの立つオフィスだったり、取引先もアラブにアジアにヨーロッパ、非日常の毎日にワクワクが止まりませんでしたね。

水嶋: ワクワクしながら将来を語る、そんな留学時代の友人たちに惹かれて選んだ道はまさしく期待通りだったということですね。そこで気になるのが、さっき話に出た『チアとの葛藤』です。そのへんはどうでしたか?
笠原: やっぱりずっと、『チアリーディングで上を目指したい』という気持ちがありました。でも週末だけ帰国して練習するって訳にもいかない。そのために金持ちの彼氏と付き合おうかと思ったこともありましたが現実そう甘くない(笑)。そこでドバイでチアリーディングチームをつくったんです。
水嶋: 笠原さんのバイタリティ、一人分じゃ足りないね…(笑)。

笠原: チアって選手人口が多く、とくにフィリピンとイギリスはチア大国なんです。それでドバイは人口85%が外国人の多国籍国家なので経験者も多かったんですね。練習はもちろん、イベントで出張パフォーマンスをしたり、最終的に10カ国近い世界最大規模といえる多国籍チアチームになりました。
水嶋: ほんとすごいな。
笠原: でも、私がやりたいと思ってはじめたけど、運営者という立場だったので、『もっとプレイヤーとして世界を目指したい』という思いが満足することはありませんでした。なのでときどき、一人旅や帰国中にチアの練習に参加してましたね。
水嶋: 話を聞いていると、笠原さんってビジネスパーソンとアスリートとしての能力が高くて望みも強いゆえに、お互いに引っ張ってるんだろうなと感じます。二兎追うものは一兎も得ずっていうけど外から見ると追えている。が、本人自身は、その追い込みじゃ足りないと思っている。そんな感じだ。
笠原: 実はドバイ時代に上司からも、『チアでなくビジネスで世界を目指せ』と言われたことがあります。
水嶋: ビジネスの世界にいる人ならそう言いますよね。でもそれって笠原さんならいけると思っての、『もったいない』という気持ちもあるんだろうな。でも…そのあと、オーストラリアでチアをすることになるんですよね?
笠原: はい。『やっぱりチアで世界を目指したい』『修業したい』と思い、世界トップクラスであるオーストラリアの強豪チームのコーチにメールで直談判して、3カ月休職して練習に合流することになったんです。
水嶋: 休職か。上司も理解あるな…。
笠原: 最初は辞職を申し出たんですが、ありがたかったですね。
水嶋: オーストラリア修業の成果は?
笠原: 自信が打ち砕かれました…。
水嶋: あら!

笠原: 私が得意だと思っていた技も、全員ができて当たり前のレベルで、そもそも技ができることでなく、いかに美しく魅せられるかということに焦点が当たっていることにショックを受けました。
水嶋: それからドバイにまた戻った?
笠原: はい。戻ってからは変わらずチアと仕事をつづけていたんですが、このままどちらも中途半端につづけてもよくない。仕事に集中しよう…と思っていたらその、オーストラリアの強豪チームからオファーがあったんです。
水嶋: 急展開!
笠原: 『世界大会に出られる選手が急遽1人必要なので来てほしい』とのことでした、しかも3週間後までに。人生で一番考えに考えて、上司の反対や親友の応援もあったんですが、最終的に母の『自分の軸で決断しなさい』という声で吹っ切れ退職して行くことに決めました。まぁ、チームとしては、一時的に会社を休んで来ると思ってたのでビックリされましたが(笑)。
水嶋: あはは…いや、笑えんな!(笑)

水嶋: いやでもね、すごい大事なこと言ってるなぁと思います。これ、日本の社会的な価値観に照らすとたぶん、あえて言いますが、会社にとって不義理だと思うんですよ。一度は3カ月休職という猶予をもらっていた訳だし。
笠原: 私も、それに対する後ろめたい思いもあったし、辞めたら大きな迷惑がかかるというところで悩んでました。実際、日本本社の上長に報告したところ、ため息をついたあとに『失望しました』と言われちゃいましたね…。
水嶋: でもお母さんの『自分の軸で決断しなさい』に尽きると思うんです。笠原さんの場合、望みがあって、それに必要な能力もあるから周りも期待する。でも、不義理かどうかなんて。自分の人生は自分のためにあるんだし。
笠原: チアで生きるという決断をした以上、後戻りできないという不安が大きかったのは確かです。でもそれ以上に、チア、それも世界レベルに触れられるというワクワク感が勝っていましたね。私も当時の自分の決断に『よくやった』と言いたいです!
チアとドバイのふたつの間に揺れ、最終的には心のままにアスリートとしての道を選び、オーストラリア・メルボルンへと赴いた笠原さん。それがどうして米国公認会計士という道を目指すことになるのか。後編につづきます。
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