一人の女性を追っかけ南米アルゼンチンへ到着
こんにちは、アルゼンチン西部ネウケン州に住んでいる奥川です。
2015年に移住し、現地の園芸店や車の修理工場で2年間ほど働いた後、今はフリーライターとして活動しています。
僕が南米アルゼンチン、しかも首都ではなくネウケン州という田舎に来た理由、それは現地に住む女性と結婚するため。
運命を狂わす一世一代の大恋愛
僕と妻の出会いは旅先のロシアのバー、ではなく言語交換サイト「InterPals」。2014年4月、彼女からのメッセージをきっかけに、時差の関係で朝と晩だけ毎日のようにチャットをしました。そして7月、めったにしなかったライン通話で彼女が僕に告白し、日本とアルゼンチンの超遠距離恋愛スタート。
ここから詳しく書くと、長くなってしまうので端的に。一度アルゼンチンで数日間共に過ごしたものの、気軽に会えない遠距離の辛さに打ちひしがれる僕たち。
「社会人になると年に一回も会えないのでは」と僕は考え、最後の思い出作りとして、彼女を日本へ招待。しかし、滞在中に妊娠が発覚し、僕は大学卒業後にアルゼンチンへ移住します。
とんとん拍子というよりはドタバタ展開。こうして一世一代の大恋愛にまんまと運命を狂わされたのです。
妻がアルゼンチン人と言うと、「外国人が好きなの?」とよく尋ねられますが、僕の場合は好きになった人が外国人だっただけ。
でも、彼女がアルゼンチン人で良かったと思うのも本音です。だって、彼女のおかげでアルゼンチンに住むチャンスを得られたから。
海外移住を考えたとき、アルゼンチン選びます?僕は選びませんね。選択肢にさえありません。でも、そんな日本人にとって異国中の異国に住むきっかけをくれたのは、彼女の国籍のおかげでした。
皿洗いと貯金習慣で感じる文化の違い
今でこそ、「僕の第二の母国はアルゼンチン」と言えますが、移住当初は驚きの連続。
圧倒的野菜不足の食生活、毎日2~3時間の昼寝、熱が出たら冷たいシャワーへ直行、夜10時になっても子供を寝かしつけない文化など、挙げていたらきりがありません。
でも、ここの文化や価値観は、体に染み込むようにすっと受け入れられたのです。きっとそれは妻のおかげ。
僕は彼女を信頼しています。良い人間の彼女が、悪意で高熱にうなされる僕を抱え、服を脱がし、冷たいシャワーを浴びさせるなんてするわけありません(切に願う)。
ただ、全く苦労しなかったと言えば、それも嘘。コミュニケーションと金銭感覚の違いには困りました。
彼女に限らず、アルゼンチン人には暗黙の了解や「~してほしかったのに」は通じません。我が家では僕が皿洗い担当ですが、忙しいときは彼女に頼みます。しばらくしてキッチンに行くと、綺麗になった食器類と水と油で汚れたキッチンがそこに、なんてことも多々ありました。
僕にとって、皿洗い=キッチン全般の掃除ですが、彼女にとってはそうではありません。こんな小さなズレが、意外とストレスの積み重ねになるんですよね。
そうそう、金銭感覚の違いが原因で、大喧嘩に発展したことも。僕は万が一に備え、少しでも多く貯金したい派。でも、ここの人たちはあるだけ使おうとします。もちろん妻も例外ではありません。
そこで僕はこっそりと貯金、いわゆるへそくりをしていたのですが、妻にばれて激怒されました。夫婦間で隠し事するなんて最低だって。僕もカーッと頭に血が昇っちゃったんですが、一旦冷静になって、手紙で気持ちをぶつけあったんです。
「外国人の僕はね、いつでも職を失う危機がある。もしものために備えておきたいんだ」と書くと、彼女も納得し、無事に和平協定成立。
この協定は度々決裂の危機を迎えましたが、僕が本当に仕事を失うという不幸をきっかけに、確固たるものになりました。まさに雨降って地固まる。
振り返ると、ほとんどの喧嘩はコミュニケーション不足や誤解が原因でした。この大喧嘩も初めから、僕が妻と真剣に話しておけば良かったんですよね。
とまあこんな感じで、勢いで結婚と移住をしたものの、家族3人で仲良くやっています。最後に、僕と妻の出会いから移住までのストーリーはこちらに書いているので、ぜひ見てみてください。
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