根差さない生き方が言葉をより深くする|中国(大連)|田辺ひゃくいち

インタビュイー
  • 名前: 田辺ひゃくいちさん
  • 仕事: コピーライター・コンセプター
  • 海外在住歴: 中国の大連に約3年間(2010年5月~2013年5月)
田辺ひゃくいちさんのインタビュー画面

田辺ひゃくいちさんは、第52回宣伝会議賞大賞ホルダーだ。たとえるなら、キャッチコピーの全国コンクールで、一等賞を獲った人。学生時代に広告クリエイターに憧れた私にとってそれは今もなお輝く賞歴で、聞けば口が反射で「すごい」と言う。しかしひゃくいちさんは受賞直後名前を変えている。前から少しふしぎに思っていたが、同時に気になっていた彼が受賞前に暮らした中国での在住談、これを聞かせてもらうと二点は深くつながっていた。

仕事は、”言葉による課題解決”。

水嶋: お仕事について聞かせてください。

田辺: 「ー(ぼう)」という屋号で言葉で課題解決する仕事をしています。

水嶋: それを聞いてパッと頭に浮かべる職業は、コピーライターですよね。

田辺: コピーライターでもあるし、最近はコンセプターがメインです。企業や商品・サービスが抱えている本当の課題は何なのかヒアリングして、解決への方向性をコンセプトとして言語化していくというもの。そこからたとえば、企業理念や、事業戦略のスローガン、商品のキャッチコピーやネーミングなどをつくっていきます。

水嶋「言葉顧問」というサービスもされてますよね、一年半前から。

田辺: はい。クライアントさんの話を聞いていると、案件になる前のところで悩んでいることがあるんです。そもそもなにをどうしたらいいか分からないから、案件にならない。コピーライターとの接点がない中小企業さんも少なくないので、定期的にお話しながら、中長期的にお付き合いしていこうという感じです。

仕事中の田辺さん
お仕事中の田辺ひゃくいちさん

中国では翻訳会社の支社長

水嶋: 帰国されてから7年。ひゃくいちさんを知っている人でも中国にいたことは知らない人もけっこう多いと思うんです。同時に私も断片的にしか聞いたことがなくて。改めて教えてください。

田辺: そうですね、あまり話す機会も少ないので。2010年5月から大連に約3年間住んでいました。仕事は、大手検索サービスの検索結果からガイドライン違反対象を削除するというもので。そこで働きながら空いた時間で語学勉強をつづけて新HSK(中国語の語学検定試験)で上から2番目の5級をとって転職、日本にある翻訳会社の中国現地法人を立ち上げから2年ほど経営していました。

水嶋: 中国での最終職歴は、翻訳会社の支社長。

田辺: そうです。

自分が行きそうにないところが中国だった

水嶋: そもそもどうして中国に?

田辺: 私、中国へ渡る前に10回ほど職業を変えているんですが、最後はIT系と専門出版系、二回連続で倒産したんですね。それでもうダメだ、これは”限界”だ、どうせダメならいっそのこと自分が行きそうにないところへ行ってみよう、と思って。そこで当時はちょうど市場が盛りあがりはじめたタイミングではあるものの、そのときはまだ正直なところネガティブなイメージも個人的にはあった中国であえて仕事を探しました。

水嶋: 思いきりましたね。と言いつつ、すごく共感します。私自身はクリエイターに憧れていたけど日本でキャリアを踏めなくて、一度リセットするつもりでベトナムに渡ったから(※2)。あの感情や状況と近いのかも。

田辺: 近いかもしれません。私はずっと仕事をしながら小説を書きつづけてきたんですけど、27歳のときに「このままではダメかも」と思ってその流れを変えたかった。それは言い換えるなら”中国という場所に逃げた”と言ってもいいと思うんですけど、あれは前向きな逃避だったし、あのとき中国を選んだことは大きかったと思います。

水嶋: 分かる。逃げのようでいて、新天地で勝負に出てるんですよね。

※2 筆者の水嶋は2011年10月から計7年間ベトナムで執筆・編集業をしていました。ちなみに渡ったときの年齢はひゃくいちさんと同じ27歳。

冬の大連にて河川を望む田辺さん
冬の大連にて

根差すとつまらないから、中国へ、大阪へ。

水嶋: そして1年後に中国支社長。華々しくも見えますが帰国した理由は?

田辺: 中国での生活に”限界”を感じたんです。発注元は日本本社だったので力関係も向こうが強く、取り分も多くて。でも実質的な翻訳作業は中国側でやっているわけなので日本本社と交渉して半々にしていただいたんですが、「そもそもこっち(中国支社)で日本から案件を直接とればよくない?」と思ってしばらく結局は東京で出稼ぎの営業活動をしていました。そういうこともふくめて中国で生きていくことに限界を感じたんです。

水嶋: なんのために中国へ行ったんだっけ、という感じはしますよね。でもそう思ったということは気持ちは変わらずにいつづけたってことですよね。

田辺: そうですね。“同じ場所に根差すとつまらない”と感じるんです。居心地はよくなるけど、それがかえって居心地がわるいというか。

水嶋: それから支社長をやめて、帰国後は東京で働き、大阪に引っ越してますよね。私と会ったのもその頃。その移動の裏も近い感情はあるんですか?

田辺: あるかもしれません。東京で働いているときに宣伝会議賞を獲ったんですが、その直後に名前(ビジネスネーム)を変えているんですよね。きっと大賞受賞者というレッテルを使った方が仕事もラクな部分があったかもしれないけど、そう見られてしまうことにも居心地がわるくなって。名前を変えて縁もゆかりもない場所に行きたくなって、大阪ならちょうどいいなと。

水嶋: 根差すとつまらないから、根差さない。華々しい賞歴も自ら投げる。個人的にはそれ強さだと思うなぁ。あと行動をともにする奥さんがすごい。

野外の羊肉串店にて、煙が立ち込める。
羊肉串の野外店にて

“限界”ではなく”境界”があるだけ

水嶋: かつての中国(海外)での暮らしが、いまの仕事や考え方に影響を与えている部分はありますか?

田辺: 根差さないことの魅力に気づきましたね。とくに今のようにコロナウイルスが問題になっていると、そうした暮らし方をしてきたことが『なんとかなるだろう』という精神安定剤になっています。あとは、日本で職場が連続で倒産したことや中国での生活終盤に”限界”を感じたと話しましたけど、あれは”限界”じゃなく”境界”だったなと。「境界だったら越えられる、越えることができるんだ」という価値観を持てたことはよかったと思います。

水嶋: それいいですね!飛び越えられるなら境界は選択や発想になるし、とくに言葉を扱ったり企画の仕事だとパフォーマンスに直結すると思います。

田辺: そうかも。それに越えるほどメンタルは強くなるだろうし、経済的に厳しくなっていくだろうという時代において、海外経験者はいい人材のように感じますね。

水嶋: メディアとしてもいいこと言っていただいて(笑)。

田辺: いやでも、本当にそう思います。みんなに気付いてほしいですね。

帰国就職に悩む友人がいればなんと言う?

“帰国は、再び自分の限界を突きつけられることかもしれない。でもそれは境界で、すでに国境(海外)というすごい境界を越えているのだから、またきっとできるはず。悲観的に思わず、かといって楽観的にも思わず。自信を持ってほしいと思います。(田辺ひゃくいち/2010~2013年・中国在住)”


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2020-04-17|タグ:
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