泥臭さが今の時代は武器になる|株式会社SWIM|後潟佑哉

東南アジアでもっとも多くの訪日旅行者が多い国、タイ。親日国としても知られ、現地に住む在住日本人は10万人ともいわれる。年中どこかで訪日観光系のイベントが開催され、日本から企業や自治体がPRにやってくる。そんな彼らをサポートする存在が、「株式会社SWIM」。日本人の後潟さんがタイで起業した会社だ。

かつて深夜特急(※)のドラマ版に衝撃を受けてバックパッカーになった後潟さんは、どのようないきさつでタイに住み、そして起業という道を選ぶことになったのか。そして、「タイはチャンスが多い」「大事なのは泥臭さ」と語る、その言葉の裏にある彼のバックボーンをうかがう。

※沢木耕太郎による、自身の海外旅行体験を基とした小説。1986年刊行、当時の若者たちの間でバックパッカーブームを起こした。

後潟佑哉さんのインタビュー画面
プロフィール後潟佑哉(うしろがたゆうや)。1981年生まれ、名古屋市出身。学生時代に「深夜特急」のドラマ版に衝撃を受け、単身マレーシアに一カ月滞在。その後はバイトと海外旅行をつづけ、2006年に26歳でバンコクに移住、旅行会社の支店長、日系情報誌の広告営業を経て、株式会社SWIMを設立。同社代表のほか、JR西日本と愛知県のタイ現地プロモーション担当を務める。
会社情報:SWIM Co.,Ltd.タイ・バンコクに拠点を置き、日系企業や自治体を中心に訪日インバウンド支援を行う。タイ市場向けにPRや市場リサーチ、セールス、旅行博への出展までワンストップでサポート。URL:https://swim.co.th/

タイ現地の視点から日本の観光をサポート

水嶋: 私もバンコクに半年少しいたことがあって、共通の友人が多かったのでお名前はよく聞いていたんですけど、ようやくお話できますね!リモートですが。

後潟: そうですね。水嶋さんのことは宮島からもちょっと聞いていたけど、ちょうど僕がDACOを辞めた直後くらいだったので、タイミングも合わなかったですね。今日はよろしくお願いします。

私がタイにいたときに、いろいろ良くしてもらった(というより私個人の特集を組んでもらった)「DACO」という老舗日系情報誌があり、後潟さんは独立前にその営業マンとして働いていた。ちなみに過去にSalmonSでもインタビューをしている宮島さんは、DACOの元編集長です。ぜひ読んでみてください。

水嶋: タイの訪日観光のお仕事というのは聞いていますが、旅行会社ではないんですよね?

後潟: はい。旅行会社はむしろ僕らの営業先で、SWIMの仕事は日本企業の旅行商品や自治体の観光地をタイ現地でPRして、実際に行ってもらう、使ってもらうというものです。ほかにも旅行博という観光関連の展示会への出展サポート、タイ人向けのFacebookページの運用、それ以外にはメディアや航空会社、旅行会社にタイアップ企画を提案したり、インフルエンサーの招請、街頭広告、タイ語翻訳、ノベルティやチラシの制作など、訪日インバウンドに関するほぼすべてのことをしています。インバウンドのワンストップサービス的な(笑)。

Thai International Travel Fair #26の会場風景
2020年1月にバンコク北部で行われたイベント「Thai International Travel Fair #26(TITF #26)」

水嶋: アイデアの要素も大きいのですね!具体的にはどんな会社とお仕事を?

後潟: メインはJR西日本、あと今年から愛知県のプロモーションを担当しています。ほかにスポットで、JR九州、宿泊施設、また市などの自治体とお仕事していますね。

水嶋: おぉ~、ビッグネームが並びますね…。私、地元が大阪なのでJR西日本と聞いて親近感わきます。そこでいま気になってしまうのは、コロナで海外旅行はもろに影響を受けていると思うんですけど、どうですか?

後潟: マーケティングやPRが主なので、旅行者と直接関わるものではないんですよね。そして、toC(消費者向け)ではなくtoB(法人向け)なのでお金の入り方が違う。その点では、影響を受けない訳ではないけど、直撃ではないです。

水嶋: なるほど。では後潟さん自身のお話で、なぜそのお仕事をやろうと思ったのか?聞かせてください。

後潟: 日本からタイまでセールスに来た企業や自治体が、現地の商習慣に合わずなかなか結果が出ないまま帰っていく事例をいくつも見てきたんです。そこで何か役に立てないかなと考えたんですよね。これはなぜかというと、日本側は出張ベースでしか来れず、タイ側は日本より転職が多い傾向にあるので、お互いの担当者が都度変わるため関係性が続かないんです。そこでSWIMが担当窓口となり、関係性を築いてプロモーションにつなげるという役割を果たしています。

水嶋: は~、完全に腹落ちしました。

後潟: ただ、独立後いきなり訪日インバウンドで食っていこうとした訳じゃないんですよ。

旅行博のサンリオ出展ブース
旅行博の出展ブースにて(奥右側が後潟さん)

後潟さんは独立後、すぐに訪日観光事業を手掛けた訳ではなく、それまで紆余曲折がありそこに行きついたのだという。まず、それまではタイでどう過ごしていたのか、そもそもなぜタイに移り住んだのか?話を伺うと、SWIMの事業と彼の過去には切っても切り離せないつながりが見えてきた。話は学生時代までさかのぼる。

ドラマ「深夜特急」に衝撃、るるぶ片手にバックパッカーデビュー。

後潟学生の頃に、「深夜特急」のテレビドラマにドハマリしたのがはじまりです。それまでやりたいこともなく、周りがそうしてるから…という感じで大学に行ってたんですが、ドラマを見終えた翌日にチケットを取りに行って、マレーシアに飛びました。旅行会社のカウンターで指摘されるまで、パスポートが必要なのも知らなかったんですよ。持って行ったのも「地球の歩き方」じゃなく近所の本屋で買った「るるぶ」、バックパックじゃなくて部活の肩から下げるようなボストンバッグです(笑)。

水嶋: その行き当たりばったり感、一周回ってバックパッカーっぽいです(笑)。

バックパッカー時代の後潟さん
当時の写真。右から二番目が後潟さん。ほんとだ、ボストンバッグ持ってる。

後潟: その一カ月間の滞在が、めちゃくちゃ怖かったけど、めちゃくちゃ楽しくて。戻ったあともまた海外に行って。大学4年になってなんとなく就活してみるものの、日本で就職する気が全然起きない。しばらく親をごまかすために専門学校に行ったりしたんだけど、26歳のときにガッツリ金貯めて海外に住もうと思ったんです

水嶋: 行き先がタイだったのはなぜです?

後潟: ベトナムのホイアンかタイのバンコクで迷って、熱風が吹いている感じがいいなと思ってバンコクに。

水嶋: 街の規模感ぜんぜん違うじゃないですか!

古都ホイアンの街並み
のどかなホイアンの街並み

旅行会社支店長、日系情報誌の営業マン、そして独立へ。

後潟: 現地で就職しようとなって、当時日系フリーペーパー全盛期で、それこそさっき話にも出たDACOが好きだったので入りたかったんです。でも、就職経験がないし何もできないなって思って、まずは旅行好きだし、旅行会社に連絡してみたところ採用されることになって、しばらくそこで働いてました。

水嶋: DACOに入る前から思い入れがあったんですね。旅行会社はどうでした?

後潟: それが入社4カ月後に日本の会社が倒産。そこが窓口だったので翌日から仕事ゼロ。その少し前に支店長を任されていたから、「じゃあネットで売るか」と思って、1年半で毎月黒字になった。

水嶋: すごいですね!って、まず支店長なるの早い(笑)。

洪水に襲われた2011年のタイ
しかし当時のタイは未曾有の事態の連続…

後潟: でもそのあとタイではクーデターが起こったり、大洪水が起こったり、めちゃくちゃ大変でしたね。旅行会社は、というか、外的要因に強く左右される仕事はもうやりたくないなと思った。で、そのときにはもうタイ語が話せるようになっていたし、潰れかかった会社を黒字に持っていったという自信もあったから、「これはそろそろDACOにいけるだろう」と思った。

水嶋: えっ、そんなに入りたかったんですか?

後潟: 愛読してたからね。そこで営業として採用されて4年働く中で、結婚もして、段々と考えも変わってきたんです。いまでこそ現採も待遇はよくなってるけど、当時は月給3.5万バーツ(約12万円)がふつう、悪いところなら2.5万バーツ(約85,000円)、働けるうちはいいけど歳とったら…。DACOは楽しかったけどいつかは独立と考えはじめた中で、直哉さん(同僚)がひと足先に独立したことで「やべぇ」って思ったんだよね。

水嶋: その「やべぇ」って感覚めちゃくちゃ大事ですよね。

DACO営業時代の後潟さんとスタッフのみなさん
DACOのメンバーたちと。
インタビューを受ける後潟さんと元同僚の直哉さん
後潟さん(左)と、元同僚の直哉さん(右)。

それから後潟さんはSWIMを設立。しかしすぐに現在の事業をはじめたのではない。翻訳事業や営業代行といった紆余曲折を経て、旅行博でのJR西日本のタイ語対応を任される場があり、そこで「日本側のPRとタイ側の需要がずれている」と感じたことがきっかけ。その後、訪日観光PRサポートという事業に専念して現在に至る。「旅行会社に勤めた経験もあったし、DACOでの訪日旅行媒体の営業もやっていたし、自分の経験でできることでもあった」とのこと。

タイは、参入障壁が高いゆえにチャンスは多い。

水嶋: お仕事で一番大変だと思うことは何ですか?

後潟: だいたい大変ですよ。新しいことをはじめるときは当然無知だし、基本的には誰も教えてくれない中で手探りで勉強していかなくちゃいけない。商品のことはもちろん、現地メディアがどういう風に日本を伝えているのか、マーケット、観光庁の公開データ…。「訪日観光」なので、自分自身はまだ行ったことがないところも含めて日本全国の観光情報を把握して日々アップデートしなくちゃならない。

SWIMオフィスでデスクに座る後潟さん

水嶋: 商品は「日本」か…冷静に考えるとおそろしく膨大な量ですねそれって。

後潟: タイと日本のどちらも知らないと、お客さんに提案できないですからね。

水嶋: 大変という中で、あえて聞きます。タイで起業してよかったと思います?

後潟: 思いますね。思いついたらすぐやりたい性格ですが、会社員だとそれがやれないことも多い。独立すると自己責任だから、失敗して落ち込むことはあっても、ヘンなストレスは抱えないで済む。それに、ぜんぶ自分で決められるから夢を追えるというのはありますよね。タイはサバイサバーイ(タイ語で「快適」)なんて言うけれど、経営はそんなことないっすよ。苦しいだけ。でも、チャンスは多い。日本人1人採用するにはタイ人4人ごとだとか、参入障壁は高いけど、その分だけ(日本人という立場を活かすなら)競合も少ないと思います。

「泥臭いこと」は誰もやらないから武器になる

タイで訪日観光をはじめとした日本の商品を扱うなら、ほとんどの場合、日本人が語る方が説得力も生まれるだろう。とはいえ、「タイ人のツボをわかっている」という条件付きで。それを踏まえて「チャンスは多い」という後潟さんの言葉は、言い方を変えれば「最後のチャンス」ということなのかもしれないと思いました。

個人的な意見だけど、日本人の信用は過去の隆盛や国際貢献によるところが大きいと感じる。電化製品、アニメ、ODA…。他国が追いつき追い越されたものもあるいま、「日本人」を活かせる市場は選べるほどの余裕はなく、10年後20年後は分からない。だから、もしかしたらいまが最後のチャンスなのかもしれない。

「経営で大事にしているものは何か」と聞いたところ、「行動力と泥臭さ」と答えてくれた。暑く、雨季にはスコールも降るタイでスーツ姿で営業に回る。それを嫌がる人が多いから、競合せず、武器になる。SNSで自己承認欲求が渦巻くいま、自分をスマートに見せたい人もいる。確かに嫌がる人は多そうだ。含蓄のある言葉をもらった。


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2020-06-05|タグ:
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