留学と第二新卒が示した海外就職という道|フィリピン|柳谷雪乃

学生の本分は学業。という話を聞いたことがあれば、確かにそうかとも思う。しかし、日本の世間じゃ就職活動は4年次が一般的、早ければ3年次というところもあって、4年間すべて費やせる訳ではない。

今回話を伺った柳谷さんは、大学4年次を留学生として過ごしたことで日本では「第二新卒」という立場になった。そして、説明会に大勢で参加する日本での就職活動に違和感を抱き、「海外就職」という道を選択。自身の望む道のために社会のレールから外れたとしても、それに相応しい戦い方というものを教えてくれます。

柳谷雪乃さんのインタビュー画面
プロフィール柳谷雪乃(やなぎやゆきの)。1995年生まれ、東京都出身。 大学時代に英語に興味を持ち、フィリピンへ語学留学をする。その後、交換留学生としてフィリピンの大学でメディア学を専攻。留学後は日本で就職活動をするも、第二新卒の壁を感じてふたたびフィリピンに渡って新卒で海外就職の道へ。現地のベンチャー企業に勤務中。

フィリピン・セブ島でデザイン学校マネージャー

水嶋: お仕事について教えてください。

柳谷: フィリピンのセブ島にある日本人向けのデザイン学校に勤めています。島内初のデザイン留学をはじめた会社で、スタッフ合わせて10人くらいの小さなところで、オペレーションマネージャー兼Webマーケッターとして働いています。業務範囲は、集客、顧客対応、ホームページの改修など、現場まわりのことは全部やっており、学校の経営方針の提案もします。

水嶋: おぉ~、業務範囲が多岐に渡っていますね!

柳谷: 忙しいですが、楽しいです!小さい会社なのでスピード感を持ってできるところがいいですね。

オフィス内でミーティングする柳谷さんと社内メンバーのみなさん
オフィス内でのミーティング風景、右端が柳谷さん。

フィリピン現地の日系企業(デザイン学校)で働く柳谷さん。私が知る限り、海外で働く人は日本での就労経験を挟んでいることが多かったが、彼女の場合はそうではない。つまり新卒。しかし、その背景を聞けば納得。柳谷さんにとって海外で働くことは、必然的なものだったように思う。その原体験は小学生の頃までさかのぼる。

小さい頃から抱いていた「いい学校いい会社」の違和感

柳谷: 小学生の頃から日本の考え方がずっと疑問だったんです。先生も親も「勉強しなさい」と言っている。でも、いい学校もいい会社も人によって違うじゃないですか。なのに「勉強できる人=ちゃんとした人」という考えがいやで。あるとき先生に理由を聞いても答えてもらえず、ますますその思いが強くなりました。ただ成長するにつれて、勉強した方が損しないと分かってからめちゃ勉強するようにしましたが。

水嶋: 「損しない」というのは、すごく単純に言えば、勉強すれば偏差値の高い大学に入り、収入の高い会社に入れるから、損はない。だから割り切って勉強した、ということですよね?

柳谷: はい、そうです。

水嶋: なるほど。そう考えると日本はある意味「お約束」で回ってきたところはありますね。年金制度とかもそうだけど、みんなが守ることで成立してきた。

柳谷: それから高校卒業後、自分が何をしたいのか分からなくなって一度浪人したんです。周りの友達と同じ大学進学という選択が正しいのか、悩みながらも決意を固めて、体育が好きで得意という安易な理由で体育大を志望したものの結局落ちて、体育学部が有名な大学の経営学部に入学しました。その中で国際経営に興味を持ち、在学中は「国際経営」と「英語」の2軸で勉強をつづけました。

水嶋: その国際経営ではどんなことを学んだんですか?

柳谷: 外資系企業がどういう戦略をとるかという、マーケティングの話が中心ですね。たまに企業の経営者が大学で講義をしてくれて、実際にこんな戦略をとって、これだけ売上が出て、といった話もしてくれました。

水嶋: 実践的だ。国際経営って海外に関係する分野じゃないですか。それはやっぱり、子どもの頃から抱いていた「いい学校いい会社」という、日本の社会で言われがちな価値観への「違和感」もあったと思いますか?

柳谷: あったと思います。

柳谷さんの大学時代、友人と4人で。
大学時代

日本の社会通念への違和感。それと国際経営という世界が結びつき、柳谷さんの中で「海外に出たい」という思いが強まる。そして大学2年次の夏休みの語学留学で、後の移住先となるフィリピンの土を踏むことになった。

フィリピンの有名校でジャーナリズム論を学ぶ

柳谷: 語学留学先にフィリピンを選んだ理由は安かったからです。パンフレットを見ると、オーストラリアやアメリカやカナダが人気の留学先として載ってあるけど一カ月で60万円と高額で、一方でフィリピンの学校がマンツーマン授業も受けられる20万円以下の格安コースとして紹介されていたんです。

水嶋: そんなに違うんだ!フィリピンは公用語も英語だし、語学勉強目的ならそっちでもいいですよね。

柳谷: その留学中、同じ島内にアメリカ人創設の国際的に有名な大学があると知りました。海外で働きたい思いと、実際に海外に出てみて日本のメディアが国内で報道しない現実があると知って、英語とマスコミを学ぶためにも、4年次に交換留学生としてそこのマスコミュニケーション学部に入学することにしたんです。その大学では、フィリピンのメディア史や、メディアがどうやって聴衆をコントロールするのか、インタビューを行うフィールドワークなどがありました。

水嶋: 行動力の塊ですね、望んで海外で働いてる時点でそうなんだけども。

フィリピン留学時代、友人2人と海をバックに。
フィリピン留学時代

知りたいから学ぶ。しかし、学生として至極真っ当なはずの行動が、帰国後の柳谷さんの就職活動に影を落とすことになる。大学4年次の一年間をフィリピン留学にあてた柳谷さんは、必然的に「第二新卒」という立場になったのだった。そしてこれが、彼女が海外就職を選択する動機となった。

周りと同じスーツを着て同じ説明会に参加する自分に疑問

柳谷: 帰国後はデジタルマーケティング分野を中心に就活をしていたんですが、みんな同じようなスーツを着て、みんな同じ説明会を受けて、地に足がついてない気がしたんですね。私は何がしたいか分かっているけど、時期がずれたという理由でこの場にいる。同じ土俵で判断されるのはいやだな。じゃあどこでなら活躍できるのか、英語も話せるようになっていたので、それはやっぱり海外だなと思ったんです。

水嶋: 日本は社会のレールから外れると戻るのが難しいというけど。第二新卒もちょっとそんなところがあるのかもしれないですね、理由が何であれ。ほかの就活生がどう考えているのかは聞いてみないことには分からないけど、フィリピンでいろんなものをみっちり学んできた柳谷さんが、「第一新卒で就職できなかった」と見られてしまうのはおかしいしもったいない。で、海外へと。具体的にはどのような就活をしたんですか?

柳谷: どこでも活かせるITスキルを身に付けたいと思っていたので、当時IT産業が成長していたベトナムとフィリピンに絞って就活しました。そこで情報収集をする中、セブ島在住者の方のブログで現地日系IT企業の特集を見つけて片っ端から連絡していまの会社に入社したんです。ベトナムの会社の選考も受けていたんですが、フィリピンにはもともと留学時代の友人もいたのでビジネスがしやすいという動機で選びました。

柳谷さんとフィリピン人の彼氏さんとのツーショット。
フィリピン就職前、フィリピン人の彼氏さんとツーショット。

同じ就職活動でも、スーツ姿で説明会に大勢で参加するやり方と、働きたい国や環境を決めて直接アプローチする柳谷さんのやり方は、真逆に位置すると思う。どちらがやりやすいかは人それぞれだが、子どもの頃から「いい勉強をして、いい大学に入って、いい会社に入る」という、日本の社会通念に違和感を抱きつづけた柳谷さんにとって、後者の戦略が肌に合っていたことは間違いないはずだ。

現採はサバイバル必至、それが苦労するし楽しいところ。

水嶋: フィリピンで働く中で、よかったな、苦労するな、と感じるところはありますか?

柳谷: よかったことは3つあって、ひとつは、残業がないのでほかのことにチャレンジできる時間が取れるところ。将来は独立も踏まえて自分でもビジネスをやっているので、この環境は大きいです。

水嶋: 副業もやっているんですか!精力的ですね。ほかの国に住む方でも残業時間が減った、なくなったというのはたまに聞きます。そもそも日本人が世界的にワーカホリックな傾向にあるから、現地のスタッフと働く中で自然と「そんなにやたらと働かなくていいや」という気持ちが生まれるんじゃないかという気もします。

柳谷: あとの2つはフィリピンに関すること。フィリピン人は楽天的でポジティブな性格の人が多く、働いているときにも音楽や歌を歌ったり、お菓子を食べたりするんですよね。そんな環境で働くことは日本じゃなかったかもなと思います。3つめは、キリスト教国なので社内でもクリスマスパーティをやるんですけど、そこに彼らがかける思いは半端ないですね。パーティーの1週間前からソワソワして仕事よりもパーティーの準備。また、月1でスタッフ間の交流会もあって、チームビルディングのためにチームごとで競うゲームをするのですが、負けず嫌いも多いから負けたら発狂したりします(笑)。苦労するところとしては、そんなお国柄もあって、緊急の仕事があっても終業前だと対応してくれないところですね。行政の手続きでも日本以上に時間がかかったりします。

水嶋: 聞けば聞くほど、私がいたベトナムでの体験と被るな~と懐かしく思いました。もちろん全員ではないんですけど、現地の人たちはいい意味で子どもっぽさがあるというか。すかしてないって言った方がしっくりくるかな。仕事なんて、歌おうが食べようが仕事できてりゃ何でもいいんですよね(笑)。ところで、現地採用という働き方の面で感じるところはありますか?よいところもそうでないところも。

柳谷: うちの会社は全員現採なので、駐在員がいたらまた違った感覚を持つかなと思うんですけど。現採はサバイバル能力が必要ですよね。駐在と違って住居も保証されない部分が多いし、問題が起きても自分で解決しないといけない。それが、よいところもであるし、苦労するところでもあります。

水嶋: そうですね。その待遇格差に不平を訴える人もいない訳じゃないんだけど、個人的には辞令で送られる駐在員が優遇されるのはそりゃそうかなと思います。でもほんとおっしゃるように、苦労するからこそサバイバル能力が身に付く。それって一生に渡って潰しの利くスキル、というか、逞しさですよね。

社内パーティにて、6人グループでの集合写真。
社内パーティにて

スキルと逞しさで海外生活を生き抜く

最後に柳谷さんに、「日本で働く予定はありますか?」と聞いたところ、「ありません」とキッパリ。ただ、どうしても戻らざるを得なくなったとしても、「会社に属さず自分でビジネスをやりたいです、いまフィリピンで進めている自分のビジネスは日本にも市場があると思います」とのことでした。もともと海外就職の背景には独立を見据えたITスキル習得もあったというので、それも本人には当然のことかもしれません。

歳なんて関係ないと頭では理解しているつもりでも、取材中に感じる柳谷さんの戦略家ぶりに「まだ社会人2年目なんだよな…」と都度思い出しては感心を繰り返していました。しかし、小学生の頃から周囲の価値観に違和感を抱き、そこに対する答えを探しつづけてきたという意味では、かなりの年季が入った軸がある。

大学4年次に留学をすると就職活動で「詰む」。個人的には、これって仕組みの欠陥に思えます。もっと言えば、大学卒業から就労まで、生き方をじっくり考えるモラトリアムがあった方がいい。人生は長いんだから。

しかし、レールを外れた人間には相応の戦い方がある。柳谷さんの生き方にそんなメッセージを感じました。


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2020-06-19|タグ:
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