大手企業で家電の開発と販売に関わる古川さん。仕事では海外の取引先や工場とのやりとりがあり、中でもベトナムが多い。実はもともと留学経験あり。ベトナムと、海外と、関わる仕事がしたい。面接のときからずっと言い続けて掴んだポジション。
海外で働きたいと考えるとき、現地採用ではなく、駐在員という選択をとる人は多くないと感じます。理由はシンプルに、時間がかかり、確実とは言えないから。しかしそれを(厳密には駐在ではないものの)実現させた古川さん、その経緯、そしてベトナム留学前後の背景を追います。
海外での家電開発販売に関わる仕事、出張も。
古川: 家電などを扱う日系メーカーで働いています。海外の取引先や工場とやりとりする部署にいて、アジアと中東のドバイが中心です。工場はだいたい中国ですが、ベトナムにもひとつあって、新商品の機能についての話し合いやトラブル対応のために年1~2回行くこともあります。
水嶋: 家電を売るということは、海外の取引先は家電量販店とか?
古川: そうです。その国に合わせた仕様にして、合格したらブランドをつけて現地で売る、とか。
水嶋: その部署って入社すぐじゃなかったんですよね、経緯を聞かせてもらっていいですか。
古川: 2018年1月からなので、いまで2年半くらいですね。それまでは営業企画の部署にいて、予算や売上などの実績をまとめて、この数字でいけるかどうかを社長など役員に報告する資料をつくったり、国内の支社に伝えていく、という仕事をしていました。いまとはまったく違って、海外とは無縁の業務内容でした。
水嶋: 私と古川さんってはじめて会ったのが7年くらい前で、当時はベトナムへの留学生だったじゃないですか。それでこうして回り道をしていまベトナムに関わる仕事をしているのがすごいなと思っていて、と同時に「どうやって?」という疑問が浮かんだんですね。なのでぜひそのへんを聞きたい。
古川: 面接のときからずっと「海外に関わる仕事がしたい」と言っていたんです、入社してからも期に1回ある面談でも。ただいますぐ行きたいって感じではなく、せっかく日本の会社に入った訳だし、たとえ仕事の内容にワクワクしなくてもやってみるのもありかなと思ってました。ただ3年半ずっとエクセルをやっててさすがに飽きてきて(笑)、転職も考えはじめた頃に、いまいる部署の先輩がたまたま産休に入るということで、「そういえば古川がずっと言ってたな」みたいな感じで異動が決まったんです。
水嶋: おぉ…じゃあ、粘り勝ちみたいな!
古川: そうですね!
面接から一貫して言い続けてきた「海外と関わりたい」という希望。海外に限らず、まずは入社するためにあえて一番の希望を伏せるという話もあるが、その戦略を否定する訳ではないものの、一方で伝えることの大事さも感じる。そう思うのは私自身、かつてそれに近しい(あえて希望を伏せた)ことをしたからだ。
しかし、古川さんの場合だと、入社後に言っても難しかったかも知れないし、もしかすると会社側もそうした将来的な展開も考えて採用したのかもしれない。そんな古川さんは、そもそもなぜベトナムに留学したのか。
周りの制止を振り切ってベトナム留学
水嶋: ベトナム留学について聞きたい、なぜこの国を選んだの?
古川: まず留学はどのみち学費を払うなら掴めるチャンスは掴もうというのがあって、英語圏も検討しましたが、大学には帰国子女がいるのが当たり前。英語が少しできたところで差別化になりづらいと感じました。
水嶋: かなり戦略的だよね。それって就職活動を踏まえてだと思うんだけど、イメージで語っちゃうと、大学の留学先をちゃんとそこまで意識する人って珍しい方じゃない?
古川: 就活のことも考えた留学先の選択はよくあることですが、その結果がベトナムに行き着くのは珍しいと思います。留学前に友人や大学の留学カウンセラーの方に希望を話すと、「ベトナムってどういう国か知ってるの?」「アメリカとかヨーロッパとかには興味ないの?」って聞かれましたね(笑)。
水嶋: 元ベトナム在住者の自分としては「なんてこと言うんだ」って思うな、それ(笑)。
古川: 当時、華奢な女子大生という感じだったし、たぶん大学側の意図としては「『こんなはずじゃなかった』と帰ってこられても困る」という考えもあったのだと思います。
水嶋: あぁ…本気かどうか確かめる、みたいな。
古川: まぁ、偏見もあると思うんですけど(笑)。
水嶋: 偏見もあるんかい(笑)。
古川: ちなみに留学希望は併願もできるんですが、ベトナム一本に絞りました。これが無理なら留学しません、って。周りから(専願を)止められましたが、そのときはベトナム一直線!という感じでしたね。
水嶋: ただ、気になることがある。差別化というのは分かるんだけど、それまでにベトナムに行ったことがある訳じゃないよね。それでそこまでの思いを持てたという、その背景を知りたい。
就職活動での差別化という理由があるにしろ、なぜ専願にするほどベトナムだと思えたのか。そこには、高校時代のアメリカ留学での経験によって生まれた、「自分は行動するしかない」という決意がありました。
特別じゃないから行動する、そんな決意にハマったベトナム留学。
古川: 昔から私は、何かがめちゃくちゃ得意ということはなかったんです。ピアノを習っても猫ふんじゃったしかできないし。そこで高校の頃から、「真っ向勝負はできない」「特別じゃないから行動するしかない」と思うようになりました。
水嶋: 差別化は、就職や将来に対してだけでなく、アイデンティティに対してもかかっていたのか。
古川: もうひとつ、大きなきっかけもあって、それは高校の頃に行った1年間のアメリカ留学です。4つ上の知り合いのお姉さんが留学プログラムに参加していて、現地での体験をすごく楽しそうに話してくれて、行ってみたいなと思ってた。でも、ぜんぜん英語も話せないまま行って、めっちゃ小声で挨拶するのがやっとで。私、そんなに明るいタイプでもないけど暗いタイプでもないのですが、ホームステイ先の家族や向こうでできた友人に、「あかりはほんとシャイだよね」と言われることが多かったんです。
水嶋: そのへんは国民性もあるからなー。
古川: 英語が話せないのも大きかったと思うんですけど、「私はシャイなのか…」「いや、みんなシャイだと思ってるけどそうじゃないよ」と考えるようになって、じゃあどうしたらいいんだろう、自分を出さないといけない、行動しないといけない、と自分を奮い立たせるようになったんです。そこで留学先を決めるときにパンフレットでベトナムのことが書いてあって、これだ!と思って、その選択することに納得感があったんですね。
水嶋: そうか!そうかそうか…。アメリカ留学の経験で、そんな決意が生まれた中で、留学先としてはマニアックかつ大胆な選択であった「ベトナム」がハマったという訳か。納得。
古川: 決意だけじゃなく、アメリカに住んだこと自体も関係しましたね。ベトナム戦争ってそういえばアメリカ相手だったなとか、確かベトナムが勝ったんだよなとか、なんで日本はアメリカに負けたのにベトナムは勝ったんだろう、とか。そこに国民性や、文化や生活が影響しているなら、実際に現地に行って見てみたいと思ったんです。
水嶋: ベトナム留学にご両親はなんと言ってたの?大学側からは反対された訳だけど。
古川: 母に相談したら、心配されるかなと思ったら、「お母さんパスポートとって遊びに行くわ」ってテンションで意外な反応でした(笑)。
水嶋: あら!
古川: たぶん、母も気づいてたのか、(留学先は)アメリカとかそういう感じじゃないよね、ベトナムはめっちゃいいんじゃない、という感じでしたね。
水嶋: それって、高校のアメリカ留学での経験にしろ、古川さんの心の動きをずっと見てくれてたから「めっちゃいい」と言ってくれたのかもしれないですね…。そうだとすると、いい話だな。
古川: あと、実家は昔からホームステイの受け入れをしていて、中学生の頃までは、韓国、アメリカ、フランス、南アフリカとか、いろんな国の人がごはんを食べたり泊まりに来ることがよくあったんです。長いときなら3カ月も。なので海外から人が家にいることが当たり前だったんですね。
水嶋: へー!ご両親は英語が話せたの?
古川: 全然話せないんですよ。
水嶋: すごいな逆に!
古川: なので本当に謎で。でも子どもの頃は、母が英語でするちょっとした自己紹介を見て、「お母さんめっちゃペラペラ!」と思ってましたね。いま思えば、子どものためにしてたのかもしれないですけど。
水嶋: 当時の古川さん自身はどうだったの?年齢的にペラペラというのはないだろうけど。
古川: 日本語が話せる外国の方もたまにいたけど、だいたいは母の後ろに隠れながら「ハーイ」とか「アニョハセヨー」みたいな感じで。そう考えると、シャイだったかもしれないですね(笑)。
水嶋: でも、そうか、そういうバックグラウンドがあったから、お母さんはベトナムという選択を応援したのもあるんだな。ベトナムはかなり発展しているといえ、20~30年前のイメージで考える親世代も少なくないし、留学生や若い女性からも反対されたという話はよく聞いていたから。
そしてベトナムに渡った古川さん。待ち受けていたものはバイクの洪水に、言語の壁。しかしそれは望んでいたものでもあった。そして大学でも、ベトナムといういま以上に少数派が学ぶ言語だったからこそ、素敵なクラスメイトたちとの出会いがあったという。(後編につづく)
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