言い続ける、真摯に働く、海外で働くための回り道:後編|古川あかり

大手企業で家電の開発と販売に関わる古川さん。仕事では海外の取引先や工場とのやりとりがあり、中でもベトナムが多い。実はもともと留学経験あり。ベトナムと、海外と、関わる仕事がしたい。面接のときからずっと言い続けて掴んだポジション。

前編では、ベトナム留学の決意の裏には、高校時代のアメリカ留学で「シャイ」と言われたことへの反発と、そこから来る「大胆な行動を」という決意があったことが分かりました。そして降り立ったベトナムの地では、どのような出来事と出会いが待ち受けるのか。

古川さんのインタビュー画面
プロフィール古川あかり(ふるかわ あかり)。1992年生まれ、大阪府出身。学生時代にアメリカとベトナムに留学し、大学卒業後は日系企業に就職し上京。現在は海外向けOEM製品(他社工場で自社ブランド品を製造している製品)を担当している。 趣味はひとり旅、スキューバダイビング、スノーボード。外出自粛をきっかけにスパイスカレー作りにどハマり中。

ベトナムという共通項で出会えた世界から来たクラスメイト

水嶋: ベトナムに行くのは初めてだった訳だけど、イメージとのギャップはなかった?

古川: いま思えばあんまりなかったかなと思います。初日は、とんでもないところに来てしまったなと思ったんです(笑)。バイクがすごくて道は渡れないし、ベトナム語を専攻していた訳ではなかったので「さようならって何て言うの」という感じで。だけど、そういう環境こそ私が求めていたものだったので、「ここで一年やったるぞ」というテンションのまま1年過ごして、帰る頃にはベトナムめっちゃ好きみたいな状態になってました。

水嶋: 留学の理想形のひとつじゃないっすか…。

古川: 高校の頃に行ったアメリカ留学から帰ったとき、「成功だったね、成功じゃなかったね」と判断する人がけっこういるなと感じていて。それって周りじゃなくて本人がやってみてどう思えるかなのにな、と思ってました。だから、キラキラした留学生活を送らなきゃというのもなかったですね。

水嶋: 過ごし方という点でも、アメリカでの経験が生きた訳だ。ベトナム留学で印象的な人や出来事はある?

古川: 授業では、クラスメイトがバラエティ豊かで。日本人はわたしひとりだったのですが、あとはフランス人、ドイツ人、韓国人、カンボジア人。高校生がいれば、駐在員のおじさんも。1年の間に人が増えたり減ったりしたんですが、ずっと同じだったのがドイツ人の女の子とフィリピン人のおばあちゃん、それと韓国人のおじさん。

水嶋: めちゃくちゃおもしろそう、なんだかアメリカのホームドラマっぽさ。

古川: その韓国人のおじさんが駐在員で、仕事上しょうがなくなんでしょうね、最初はすごく嫌々来てたんですよ。でもその人は段々とベトナムがめちゃめちゃ好きになっていって、先生もフレンドリーですごく良い方で、雰囲気もよかったのもその理由かなと勝手に感じてるんですが、その人がベトナムを好きになるきっかけの一員になれたというのは私にとってはじめての体験であり感情でした。

水嶋: おじさんの変化を通して、古川さんも自分の変化を感じられた、ってことなのかもしれないですね。

古川: それはあると思います。クラスメイトとの関係は、あの場でしか築けなかったものだなと。日本人同士でも、生まれなかっただろうなと思います。

水嶋: 生まれ育った国は違うけど、ベトナムというひとつの共通項があったからこそつながり得た、お互いに希少な存在というのはあるのかも。留学先として英語圏とか、日本人が多い国だと日本人同士で集まっていた可能性も高いから、それこそベトナムならではの体験だったでしょうね。

古川: 前に年末年始、ひとりでミャンマーに行ったんですね。そうしたら同じくひとりで来ていた日本人旅行者の男の子から「いっしょにタクシー拾いませんか」って話しかけられて、そのうちに人が増え、一人旅同士の4人で回ったんです。それは日本人同士だけど、家族で過ごすのが「ふつう」の正月にミャンマーひとり旅行って、相当やばいやつ同士だなって(笑)、その状況と似た一体感が留学の時にもあったのかもしれません。

水嶋角田さんという方にインタビューしたときに、ちょうど同じような話が出た。それこそ正月にインドでヨガ修行中の日本人同士仲良くなったと…。自分の環境を飛び出して、外側にある共通項で仲良くなった人というのは、「同じ道を辿ってきた」という感覚がより強いのかも。

ミャンマーひとり旅中の古川さんと、道中で出会ったひとり旅同士の4人。
ミャンマーひとり旅同士が集まり4人で旅行

そんな素敵な出会いもあったベトナム留学において、古川さん自身にはどのような変化や、培ったものがあったのだろうか。それは、ベトナム語はもちろんのこと、状況に合わせて自分で判断する力だという。

留学生活はいつも判断の連続だった

古川自分で判断しないといけない場面が多かったところですね。家賃について確認したり、どんな授業を選ぶのかとか、大家さんのお節介をどう乗り切るのか。プランAかBかCか、今回はAで行こう、こういうときはこうしよう、前回これでうまくいったからこうしよう。その中で、なんとかなるからあまり尻込みしないでやってみようという姿勢も生まれました。

水嶋: それはほんと、ベトナム留学に期待していたものを掴んできたという感じですね…。そしてすごく分かるな。その国に来たばかりの外国人って試行錯誤の連続が当たり前だから、状況判断やリカバリー、リスクマネージメントが…って、こんなビジネス用語以前にシンプルに生活の知恵なんだけど、標準装備になるもんね。

古川: そうですね、ぼんやりしてたら本当にぼんやりしたまま時が過ぎてしまう。

水嶋: そういえば、さっき話してた大家さんのお節介って?

古川: 最初ベトナム語が全然話せなかったことをすごく心配されて、毎週のようにベトナム語でマシンガントークされて、最後に「理解できた?」と確認してくることがよくあったんです。「分からない」と言うと「いつも日本人と喋ってるからよ!」と説教されるし、「分かった」と言うと「説明してみなさい!ほら分かってない」と説教されたり(笑)。優しさだとは思ってたけど、今日はどうやり過ごそう、どう隠れようって、悩むほどではないけど、よくどうしようと考えてましたね…(笑)。

水嶋: あははは!おもしろいな~。いやでも分かる、ありがたくも?ベトナムは…とくにおばちゃんはお節介な人も多いから。ちなみに大家さんは英語が話せたの?

古川: いや、あんまり!

水嶋: じゃあベトナム語(語学習得)なんて簡単でしょ、と思ってる節あるな…(笑)。

テト(旧正月)中、大家さんから親戚との集まりにお呼ばれされた。

そして日本に帰った古川さん。就職先は自然とベトナム語を生かす、海外と関係するものを希望。そこには「ベトナム語を生かすにはベトナム関係しかない」という理由のほかに、ベトナムを含め東南アジアが発展する中で流れが来ると考えたからとのこと。

ベトナムと接点のある企業に絞り就活、ミステリーハンターを考えたことも!?

水嶋: 帰国後は、具体的にどう就職活動したの?

古川: そこはふつうに、リクナビやマイナビとかのサイトを使って就活した感じですね。海外拠点があるかないか、駐在があるかないかで検索できるので、目についた会社をリストアップして、企業のサイトを見てベトナムについて書いてあるかチェックしました。

水嶋: そこはやっぱりベトナムを見たんだ。

古川: そうですね、海外と関わるならベトナムが入っていてほしいと。就活生でも海外に興味のある人はいるので、そこを売りにしてる会社もありました。エントリーシートを出したのは10社もいってないと思うんですけど、4社の面接を受けて決まった感じです。

水嶋: それ、めちゃくちゃ打率良くない?

古川: 私の場合、けっこう早く決まりましたね。留学から帰ってきたのは大学4年の6月中旬で、9月中旬には決まりました。

水嶋: 早いね!時間的にはあまり余裕なかったでしょう、もし決まらなかったらどうしてた?

古川: そのときは現地採用(ベトナム就職)も考えてました。あと、ミステリーハンターも考えてましたね。

水嶋: ミステリーハンター?世界ふしぎ発見の??

古川: はい(笑)。大した理由じゃないんですけど、就活中に「なんでこんな頑張らないといけないんだ」ってテンションが落ちてた頃に、ちょうど募集のCMがやっていて、祖母から「もうこれに応募しちゃいなさい」と言われて、「けっこうありだな」と思ったんです。

水嶋: それ行ってた未来もおもしろそうだなぁ(笑)。

大学での卒業式の写真、ベトナムの民族衣装のアオザイ姿(右から二番目が古川さん)。

そうしてベトナムと関わりのある企業に入り、3年半の勤務を経て海外と関わりのある部署に異動した古川さん。そしていまはベトナムのみならず、さまざまな国と仕事で関わる日々。こうしたキャリアモデルに憧れる人もいるのではないか、そのために大事だと考えることを聞いてみた。

言い続けること、会社員として真摯に仕事に取り組むこと。

水嶋: 新卒から海外で働きたいという人は一定数いて、多くの場合は現地採用になると思うんだけど、独立を視野に入れて、相当な覚悟や決意がなければ精神面でも苦労するぞと私は思ってる。だから古川さんみたいな人もいると私はぜひ知られてほしいと思っていて、そこで「私はこうした」というものはある?

古川: 私は、周りに言いまくると願いが叶うと思ってるタイプなんですね。この人に言っても意味あるのかなという相手でも、ひょんなことから回り回って話が来たりしてたので、その自分の興味や理想を周りに知ってもらうというところからスタートだと思います。というより、それしかない、それに尽きるかなと。あとは、たとえ興味がない仕事でも真摯に取り組むことで、「こいつなら大丈夫」だと周りに安心してもらえれば、チャンスは掴めると思ってます

水嶋: その「興味がない仕事」ができるかどうかがネックかもね。正直、私はそれができないだろう。

古川: それはありますね。すでに明確にやりたいことがある人は、私のやり方は向いていないと思います。それなりに働けばお給料をもらえるという安心材料があるからこそ、ベトナムに関する仕事ができない時期でも、休みをとってベトナムに行こうかなといったようにバランスを取れていた。好きなことを仕事にして、次はこういうことを、その次はああいうことを、という人はそれはそれで羨ましいなとも思っています。

誰にとっても正解の決断はないけれど、その人の考えに沿った道というものはあるはず。すでに数年後に独立という選択肢を用意している人は、現地採用だろうが何だろうが海外に出てしまった方がいい。たとえば、以前取材したフィリピンで働く柳谷さんはそちら側だと思う。

それだけに、その自分自身の中にある動機はトコトン突き詰めた方がいい気がした。やりたいことがあるから行くのか、居心地が良いから、憧れているから行くのか。その気持ちを見極めた上で沿った選択をしないと苦労する。まさにそれは、その人に合わせたプランAとプランBなんだろうなと思いました。


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2020-08-01|タグ:
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