大阪で家庭料理教室「Relish」を主宰する石井さん。教えるものは、世界各国の料理。イタリア、スペイン、台湾、韓国、ベトナム、カンボジア、中国、タイ、マレーシア…。これらは、実際に現地で学んできたものだ。ただし、レシピがすべてじゃない。大切なのはその「背景」。食材も水も違えば厳密には同じものじゃない、だからこそ、その料理がその料理である由縁を必ず伝えているという。
そんな石井さん、実は30代前半までワーカホリックな広告営業として働いていた。
「一生の仕事を」と広告営業から料理の道へ
石井: 2009年から「Relish」という料理教室をやっています。今月はイタリア、来月はメキシコ、といったように月1でテーマを決めて、4~5品の家庭料理を教える。いまはコロナで人数などを減らしていますが、以前は5人のクラスを月平均20回くらいの頻度でやっていました。
水嶋: 国のレパートリーはだいたいどれくらいですか?
石井: 数えきれない!?ですね。イタリアで学んだあと、料理教室と並行しながら、スペインの学校で習ったり、アジア各国へ旅行に行っては現地の料理を学ぶことをライフワークにしていたので。各家庭でお母さんがつくるような、残り物をどうするとか、そういった家庭料理を、日本でつくれるようアレンジして教えています。
世界各地で学んだ料理を、料理教室という形で伝えつづけてきた石井さん。教室運営のほか、テレビや雑誌などにレシピを、オススメのお店についての情報を提供したりもするという。しかし前職は意外や意外、料理の世界とは縁遠そうな、「広告代理店の営業」だった。
石井: 超就職氷河期世代で、広告クリエイティブがやりたかったんですが受けて落ちまくって。最終的に内定をもらったのが、制作会社か、小さい代理店営業。社長に「営業やったらぜんぶ(流れが)分かるから」と後者に就職しました。その営業が意外とハマって、転職して、100人くらいの営業職の中私だけ女性という環境で、猛烈に働きました。ただ部下をもつと自分のことだけではない責任も増えて。「自分だけで思う様に動きたいな」「広告の仕事は好きだけど一生はできへんな」、そんなときにリーマンショックが起こって、週末にまともに休めるようになったんです。
水嶋: それまでまともに休めなかったって、ほんとにめちゃくちゃ働いてましたね…。
石井: 周りの同僚や先輩を見ていても、広告業界にいると家庭を持っていてもそれを犠牲に働かなければいけないだろうなと思ってましたね。そんな中、同級生が「料理教室に通っている」と聞いたので、あーそういえば料理好きだったなと思って行ってみたんです。先生は母と同じくらい年齢で孫もいて、場所は先生の家。広告の仕事は好きだけど、一生はできない。でも料理は、家にいられるし、料理が上手だと家族も喜ぶし、「これぞ女が一生できる仕事じゃないか」って思ったんです。
水嶋: なるほど…。男でもそうだけど、確かにマイペースを保ちやすい仕事だ。
石井: いつかしたいなと思ったらもう止まらない性格で、それから仕事に身が入らなくなってしまって。なのでイタリアの料理学校への入学を先に決めてしまって、「いついつに行くからいついつに辞めます」って会社に宣言して、辞めました。
水嶋: 大胆!周りの反応はどうでした?
石井: 驚かれましたね。「え、料理するの!?」「頭おかしくなったの!?」って感じで(笑)。してたけど、男みたいに働いていたから、意外だったようで。
水嶋: まぁ、ずっと働いていた仲間が、突然知らない顔を見せて、しかもそっちの道へ!ってなると、そうも思うのかな。広告の仕事は好きって話でしたけど、辞めることへの未練や葛藤はなかったんですか?
石井: ある程度、やりきった感があったんです。大きなプロジェクトを終えたあとだったので、燃え尽き症候群みたいになってたのもある。仕事もつづけるとある程度怖いものもなくなってくるじゃないですか。そのあたりからおもしろくなくなってきて、そこで「部下を育てろ」というように言われはじめたこともあって、将来の仕事のイメージが湧かなくなってました。
水嶋: そっか。そんなタイミングで、リーマンショックがあり、料理教室という一生の仕事との出会いがあったんですね。海外に住んだ人に取材してると、リーマンショックか震災を移住のきっかけに挙げる人は多いです、生活が大きく変わったことで立ち止まって考える時間が生まれるんですかね。いまならコロナがそうでしょうけど。でも、なぜそこでイタリアという選択を?それこそ日本ではなく。
石井: 日本の料理学校の方が、確かに基本は身に付くと思うんですよ。でも30歳を超えてから20歳前の子たちといっしょに学校に通うしんどさもあったし、どうせ環境を変えるなら大きく変えたい、日本より海外の方がまったく違う経験を得られると思ったんです。それに、大学の頃に毎年旅行でイタリアには行っていたので。
水嶋: なるほど。個人的にその「大きく変えたい」という気持ちは共感します。長年続けた仕事を辞めるくらいなら、大胆に変えないと割に合わないというか。そこで海外という選択肢を取ることは、大人ならではの度胸や経済力もあったからだと思うし。イタリアに馴染みがあったのならなおのことですね。
そうして、イタリアのフィレンツェにある、アカデミアリアチという料理学校に入学した石井さん。そこでは、半日語学、半日料理の勉強。学校では現地の食材の職人や、料理研究家とつないでくれ、生ハムやチーズなどの工場を見学したり、料理を学んだりしたという。
はじめての海外生活、ひとつひとつができるようになる楽しさ。
石井: イタリアに、海外にも住むのははじめてだったので、いろんなことにびっくりしました。ゴミの捨て方ひとつとってもそうだし、何がどこに売ってるかとか、スーパーの情報とか。いちからそれを調べなきゃいけないし、「なんでも聞いてね」と言ってくれる人もいる訳じゃない。アパートの水やお湯が出ないことも当たり前で、鍵のトラブルなんかもあって、途中で「なんで来たんやろ、こんなしんどいのに」と思うこともありました。ただ、新しい食文化との出会いは、そんな苦労をしないと得られないものだったなと思いますね。
水嶋: ゴミの捨て方とか、売ってる場所とか、その感覚よく分かるなぁ。社会習慣の知識ゼロからスタートですもんね。逆に言えば、そこから覚えていく楽しさもまた海外生活でないと得られない体験だなと思います。
石井: そうですね。時間が経つにつれて「あ、私これできるようになってる(前はできなかったのに)」と気づくこともあって、それがめっちゃうれしかった。
水嶋: イタリア生活ならではの発見ってありました?
石井: イタリア人の家族の結びつきを感じました。日本は高校生くらいだと週末は家族で過ごすのが恥ずかしいという子もいるじゃないですか、でも向こうではいくつであろうが週末は家族といっしょに過ごす。お母さん大好き、みたいな感覚が根付いてましたね。
水嶋: イタリア系移民も多いアルゼンチンでもそうですね、家族で過ごすことを重視するのはキリスト教圏の価値観とも言えるのかな。一方で日本は、「世間体」という感覚が影響していそうな気もする。
石井: あとは、日本は本当に完璧主義なんだなということ。帰国後に料理教室をはじめようと思っていたのでうまくできるか不安だったんですが、イタリアでは先生が「卵がないから買ってくるわ」と言って、誰も怒らないし、いいよいいよ、って感じなんですよ。人間、こんなんでいいんだよってと教えられている気がして、そうした不安がなくなってラクになりました。
水嶋: そして帰国して料理教室を開く。それからも海外で料理を学びつづけたんですよね。
石井: 旅行が好きなので定期的にいろんな国へ学びに行ってたんですが、学校に入ったのはイタリアとスペインの2カ国です。スペインは夏だけ、世界一の美食の街と呼ばれるバスク地方に行っていました。ミシュランガイドに載っている星つきの店が人口規模に対して異常に多くて、「バスクの星は空ではなく地上に落ちてる」って言われるんです。それにバル文化やピンチョスの発祥地…バルは、日本でいうお酒の飲めるおばんざい屋さんみたいな感じですね。バル通りにあるバルはワインも食べ物もレベルが高くて、お酒を飲む人ならパラダイス。昼は料理学校に通って、夜は生徒たちとバルに行く、という過ごし方をしてました。
水嶋: あー、いつか…絶対行こう…。
イタリアで学んだのちに料理教室を開き、並行してスペインやアジア各国で料理を学んでは教室に持ち帰って日本で教える。そこで思ったのが、そのあらゆる料理に対する興味のモチベーションはどこにあるのか。イタリアならイタリア料理研究家、スペインならスペイン料理研究家、素人ながら自分にはそんな「料理研究家は住み分けをしている」というイメージを持っているので気になった。
ブランディングより、自分自身が楽しみたい。
石井: それは単に、イタリア料理だけでは私が楽しくないというだけですね。「一本に絞った方が料理家として需要があるよ」と言う人もいたんですが、自分が教えることに縛られて、本当はアジア料理だって好きなのにイタリア料理しか教えられないっていやだなと思ったんです。もともと旅行が好きなので、いろんな国の食文化を知りたいし、知ったことを教えたいと思っていましたし。
水嶋: そうか、そうですよね。「教える」の前に、「学びたい」がありますもんね。
石井: 私がイタリア料理に飽きてきたなーと思ったら、それは教わる側にも伝わってしまうと思うんですよ。それに教室で大事にしているものは、料理の背景。なぜこの料理が生まれたのか、名前の由来は何か、歴史、宗教、習慣、気候、地形、そういったものを伝える。それを楽しいと思った生徒さんが私のところに残っていっていると感じます。
水嶋: そういう話、めちゃくちゃ大好きです!
石井: たとえばメキシコで日本の照り焼きソースが流行っていても、あれは照りを出しながら焼くから照り焼きなのであって、すでに完成されたソースをかけるともはや照り焼きとは言わないんですよね。そこを変えると別物になる。本場の食材や水ではない以上、違う国でまったく同じものはできません。だから、何をもってその料理と言えるのかを知る、それは料理に対するリスペクトだと思うんです。だから、あえてジャンルを絞るといったやり方でブランディングとかはできていないと思います。自然体のままでいいと思って、やっていますね。
水嶋: いきなりですけど、なんかちょっと反省しました。自分が楽しむことが一番のはずなのに、「ブランディング」に振り回されることは私自身もあります。ジャンルでいえばシンプルな方が分かりやすいし、人目に触れる上では賢いとも言えるんですけど、自分自身の軸を折ってまでやることじゃないですもんね。
それにしても、広告業界というまさしくブランディングやマーケティングを通して物を売る仕事をしてきた石井さんが、まるでその対極にあるような価値観を持っていることがおもしろい(私の見方かもしれないが)。
後編では、料理を通じて国際ボランティアに関わっていく様子、そうしてメキシコ・オアハカ州の料理や人々との出会いについて伺って行きます。
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