世界をめぐる料理家が美食の街と出会うまで:後編|メキシコ|石井美音

大阪の家庭料理教室「Relish」。そこではイタリア料理やスペイン料理のほか、アジア各国の料理などから、月1でテーマを決めて家庭料理を教えている。主宰は料理研究家の石井さん。教室を開く以前は、広告営業として「猛烈に働いていた」という。前編の広告営業時代とイタリアとスペインの料理学校の話から、この後編ではネパールでの国際ボランティア、そして運命のメキシコ・オアハカ州との出会いについて伺います。

石井さんのインタビュー画面
プロフィール石井美音(いしい みね)。1975年、岐阜県岐阜市生まれ、大阪市在住。大学卒業後、広告代理店に勤務するかたわら、料理を学び、2009年、自宅マンションにて家庭料理教室「Relish」をはじめる。教室を中心に、外部への料理講師やレシピ提供、執筆など活動は多彩。毎年海外に出向き料理を学ぶ。2018年1月から2年間はJICAシニア海外ボランティアとしてメキシコ赴任。帰国後はオアハカ州の食文化を中心に伝える活動を開始。/RelishサイトブログFacebookInstagram

ネパールの観光大学で和食の授業、しかし文化の壁は厚く…。

水嶋: 2016年にJICAの活動でネパールへ、これはなぜ?

石井: もともとは青年海外協力隊としてベトナムに行く予定だったんです。きっかけは、元上司がシニア隊員としてコスタリカに2年間行って帰ってきて、話を聞いて「豊かな経験をされてきたんだな」「うらやましいな」と思っていたら、「料理の職種もあるから調べてみたら」と教えてもらい、ちょうど案件があったので勢いで書いて出したらトントン拍子で合格。事前研修でベトナム語も学んで、さぁいよいよ行くぞというところで、義母の癌再発が発覚したんです。

水嶋: なんと…。

石井: 協力隊の任期は2年なので、この状態じゃ行けないとなって派遣を辞退しました。しばらくしてから看取ることになって、そのあとは訓練所(研修施設)で同じだった隊員たちを巡るアジア放浪の旅に出てました。異国の地で奮闘する彼らの姿を見てますます行きたいなーと思ったところで、協力隊とは別に3カ月の短期ボランティアの案件が募集中だと知って、ネパールへ行くことになったんです。

水嶋: ネパールでの任務内容は何だったんですか?

石井: 国立の観光大学で、和食コースの新設にあたって現地の環境に適うかどうか調査するというものでした。食材、環境、気候、文化、などの面から調べる。模擬授業も行いました。

水嶋: 結果はどうでした?

石井: 大きくは、衛生観念が違いすぎましたね。皿を洗っても水が切れるように縦に置かなかったりなど、手食文化ということもあってあらゆる面でギャップが大きかったです。そこは国立なのでネパールの中では比較的富裕層の人が来てるのですが、それでも和食を食べたことがある人が、50人生徒がいればうち1~2人くらい。そうした人に短期間で和食を教えるというのはさすがに無理があるなと感じました。

水嶋: ハードですね…。料理以外でなにか驚きはありました?

石井カースト制度の世界を目の当たりにしたことですね。国家としては「ない」ことになってますが、明らかに存在していて。私は部外者なので誰とも挨拶しますが、生徒たちは清掃員の方と一切喋らないし挨拶もしない。あとは宗教上の禁忌の食材も多く、ほかにも女性が公衆でお酒を飲むのはあまり好ましくないとか。とにかくタブーが多かったですね。

水嶋: 外国人はカースト外にいるとはいえ、それは女性や食に関して制約が大きいですね。

ネパールの観光大学にて生徒たちと写る石井さん
ネパールの観光大学にて生徒たちと

それから日本に戻った当日、ある合格通知が。実はネパールでの短期プログラムと並行して、メキシコでのシニア隊員の案件に募集していた石井さん。いまは制度とともに事情も変わったが、それまでは青年海外協力隊は任地を第3希望まで書いても通らないことが多かった。しかし、シニアの場合は技能が求められるため案件によって申し込むものだったという。

料理の道はオアハカにつづいていた

水嶋: なぜメキシコ?

石井: スペインで料理を学んでいたとき、スペイン語があまり話せなかったなと。サンティアゴ巡礼も行きたかったし、2年もいたら話せるようになるだろうし、それで行った方がおもろいやんと思って。メキシコ料理も気になってて、なんとなく合うかなと思ってました。

水嶋: 実際どうでした?

石井: はじめは首都メキシコシティで和食や和菓子の講座などを開いていたのですが、色々あって任地変更となりました。その後半の1年が、めちゃくちゃ大変でしたがすごくやりがいのある活動だったんです。メキシコ南部のオアハカ州の職業訓練校で料理を教えるという内容なんですが、学校で教えるものだと思ってたらそうではないと。オアハカも山から海まで車で10時間かかったりと広いので、「各地を5週間ずつ滞在して、現地の料理人に世界の料理を教えてほしい」というものでした。

水嶋: おぉ~!まるでキャラバン、楽しそう!

石井さんの料理教室に集う現地の料理人たち
石井さんの料理教室に集う現地の料理人たち

石井: 5週間といっても、今日はここで3日、明日はあそこで3日、という感じで移動が多くて。場所も、屋内があれば、ガス台を持ってきて広場でやるとか。どこで開いて、どれくらいの人が来て、何を教えてほしくて、どんな食材が必要なのかとか。明日何が起こるか分からない状態。地域によって手に入る食材が違うので、常にギリギリのタイミングで調達。泊まる場所も、高級ホテルの日もあれば、ネズミやサソリのいるホテル、時には現地の人の家に泊まる日もあったり。

水嶋: めちゃくちゃ大変だろうけど、なんかもう教えるという意味では、料理人が見る夢みたいな話ですね。

石井: そうですね、夢みたいでした。

水嶋: それにしても、「世界の料理を教える」という任務そのものがすごい。だって、日本でそれができる料理人がどれだけいるかって話。日本人じゃなくてもか。さっき(前編で)ブランディングの話が出ましたけど、自分が楽しむことを優先して料理を学んできた石井さんだからこそ、任務に応えられたんだろうなと思いますもん。まるでオアハカと出会うために、これまでがあったかのような…。

石井: 私が教える一方で、現地の料理人に教えてもらったりもしたんですよ。教えた分だけ教わった。オアハカはメキシコ随一の美食の州で、食文化に誇りを持ってる。私から教えてくれとも言ったけど、お願いしなくても彼らも知ってほしいと思っているんですよね。そんな1年を過ごして帰ってきたのが今年(2020年)の1月。数日しか行けなかったところもあるし、まだ教わっていない珍しい料理もあるので、今年の秋にまた行こうかと思ってた。それがコロナで行けそうになくて悔しいけれど。そんなオアハカを日本の人にも知ってほしいので、今後はツアーを組んで日本から人を連れて行ったり、半年ずつ日本と住んだりしたいですね。

水嶋: 私にとってのベトナムもそれに通じるものがあるかもしれません。ここで振り返りたいんですが、そんなオアハカや、これまでの海外生活、石井さんにとってどういう時間だったと考えてます?

石井: オアハカが肌に合いすぎて、もはや特別な時間でなく、日本にいる方が特別に思えるくらいなんですが、日本の生活では気づかない大切なことを山ほど教えてもらった気がします。人生、自然、心、時間、これらのお金には代えがたい価値を改めて感じることができました。海外でいうと、日本では「私はこういう人だから」と、他人からも自分でも決めつけがちですが、海外では私のことを誰ひとり知らず、何のしがらみもないので、今の本当の自分のままでいられる。その心地よさたるや、お金には代えがたいものです。

水嶋: 誰ひとり知らないし何のしがらみもない…。確かに、そうですね。ときにそれは生活上の壁にもなりますけど、外国人という部外者だからこそ割り切られるというか、ヘンに詮索されることも少ないし、自分に置き換えて考えてみると、「日本で他人の目線を気にして生まれた社会性がはがれていく」ような体験だったなと思いました。昔から、海外旅行で価値観変わったなんて言いますし、それに対する揶揄も多いですけど、変わるというより気付くことはあると思います。ま、旅行というより生活者になる必要はあると思っているんですけど。

料理を前に、石井さんとオアハカの料理人たちの集合写真。
石井さんとオアハカの料理人たち(石井さんは左から5番目)

「望むままに行動する」が最強のキャリアかもしれない

広告の世界からえいやと飛び降り、「一生の仕事」を求めて33歳で料理の道へ。そのきっかけとして旅行を通じて馴染みもあったイタリアを目指した石井さん。そこから世界は広がり、自分が楽しいことを一番に、スペイン料理のほか、アジア各国で料理を学んでは料理教室という場で伝えてきた。

そんな知識と体験が、オアハカというメキシコ随一の美食の街で、現地の料理人たちとのつながりとかけがえのない体験に変わる。いまやオアハカは、「行く」のではなく、「帰る」場所だと思うように。一方で、広告営業時代の経験はいまも活きていて、企画づくりやレシピの説明、プロモーションにも役立っているという。

石井さんの話を聞いていて、その人が自由意志に従って生きて動いている限り、それそのものが最強のブランディングだよなーと思った。いや、それはキャリアと呼んでもいいのかも。それこそ他人の目を気にしすぎて、自分の楽しさや幸せを損なうなんて人生において本末転倒だ。そんな前提がある上で、未知に関わりつづければやがて転機はやってくる。石井さんの場合、それがオアハカだった。


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