外資系広告代理店の営業から、のんびりとしたカンボジアのビーチリゾートへ。実は、足利さんの帰国就職についての悩みを聞いたことが『SalmonS』をはじめるきっかけだ。現地でJICA海外協力隊として任務にあたる中、コロナショックの影響で緊急帰国中&自主隔離中の足利さんに話を聞く。彼女がぶつかった帰国就職の壁とはなにか?退任後の将来をどう見据えているか?
目次
カンボジアのビーチリゾートの観光局で働く
水嶋: いま、どの国でなにをしてますか?
足利: JICA海外協力隊として、カンボジアのケップというビーチリゾートの観光局に勤めています。欧米圏からのバケーション先としても人気の観光地で、日本人をふくむ外国人観光客へのPR施策や英語での案内をしています。
水嶋: 事情を知っているので単刀直入に、最初の仕事は違ったんですよね?
足利: はい(笑)。任務はケップの観光サイトの制作で、日本では広告代理店で働いていたこともあり希望しました。ただ、私のデスクは観光案内所にあるのですが、来た当初は鍵すら開いておらず。同僚たちが出勤しない状態が当たり前だったので、方向転換して私が朝8時に出勤することで「まずは来てもらう」ということからはじめました。
水嶋: そこで折れなかったのが本当にえらいよ。
足利: クメール語がある程度喋れるようになってからは、「(職場で)ひとりでいると寂しいじゃん~」と話してたら来てくれるようになりました。
水嶋: ほぼマネージャーだ。一方で、具体的な業務の内容は?
足利: 観光案内所にいるのでもちろん外国人旅行者が訪ねてきますが、同僚は英語が話せない人も多いため私が英語対応を。また彼らはケップで生まれ育ち、中にはほかの州に行く機会がない人もいるので、外国人観光客がどんな情報がほしいのかわからないんですね。なので私の方で探したり人に聞いたりして、どこで自転車が借りられるかとか、どこに両替所や病院があるのかとか、資料としてまとめることをやっていました。あとは、英語とクメール語で会話シートをつくったり、地図の読み方を教えたり…。
水嶋: もうあれだ、業務内容はほとんど『観光局』だ。
日本では外資系広告代理店でオールラウンド的営業
水嶋: 日本では広告業界にいたってことですが、具体的にはどんな仕事を?
足利: 広告代理店の営業です。制作・イベント業務の進行や予算管理など…。たとえば、クライアントのところに通い、ニュースを調べて「いまこんなものが流行しているのでこんなプロモーションはどうですか」と提案したり。ほかにテレビ局のCMの枠を買うバイイングとか。外資系では大きなところなんですが関西支社は規模が小さかったのでなんでもやってました。
水嶋: カンボジアでも日本でも、ぜんぶやる運命だなー。
足利: そうですね(笑)。
水嶋: それで海外に行こうと思った訳は?
足利: 就活中のときからJICAに興味があったんです。採用試験に落ちたので以降気には留めてなかったんですが、だれかの役に立ちたいとは思ってた。そんな思いの中で広告業界で働いていると、わるいことではないんですが、利益の話ばかりで、心の中でモヤモヤしたものがあった。そんなときにテレビ番組で『素敵だな』と思う人たちが協力隊だと知り、そういえば協力隊ってJICAじゃん、落ちても会社に残れるしと思って応募したら受かりました。
草の根外交官として日本に興味を持ってもらう
水嶋: まだ任期は終えていないけど、現地でよかったと思うことはありました?話した通り、任務内容が当初期待したものと違ってしまった訳だけど。
足利: 観光局の人が日本に興味を持ってくれたことですね。最初同僚に「ミヅキは英語が話せるから日本はヨーロッパなんだね」と言われたんです。
水嶋: そいつはカルチャーショックだな。
足利: だけど今は彼女も日本をアジアだと知ってるし、トゥクトゥクのおじさんと会うと『(ニュースを見て)日本ではこんなことがあったね』と話してくれる。ほかにも日本人がシェムリアップでゴミ拾いをしたという話題を知って、『ありがとう』と言ってもらえたり。JICA海外協力隊ってよく『草の根外交官』といわれるんですけど、こういうことかと思いました。
水嶋: なるほど、その意味ではまさしく『活動』していたんだ。
“たくましさ”は履歴書じゃ伝わらない
水嶋: ここで核心について聞くんだけど、帰国就職する上で壁は感じる?
足利: 感じます。以前転職エージェントとオンライン面談をしたんですが、『早めに切り上げて帰ってきたらどうか』と言われて。そこに『いまやっているのは(彼らにとって)仕事じゃない』というニュアンスを感じました。
水嶋: それは不満だよね。
足利: ここで働くことで、どうやったらうまくいくのかなと試行錯誤していることがプラスに捉えられていないんだなと思いましたね。
水嶋: 私、よく分かってるつもりなんだけれど、あえて聞くね。そこでの生活を通して、ポジティブな変化はあった?あったらそれはなに?
足利: ありました、多少環境に変化があってもドンとして動じなくなった。
水嶋: たくましさってやつかな。
足利: それはだいぶ身についたと思います。そうするから動じないとも言えますが、外国にいるので情報収集や危機管理に対して敏感になりましたね。
水嶋: わかる、超わかる。外国人だからこそ緊急時に備えるよね。
足利: そうなんです。現地で病気やケガをしたらひとりでプノンペンに行かないといけない。なので事前に、だれにタクシーの配車を頼んで、運賃は常に用意して、って準備は日頃からしていました。そうしたら前にアメーバ赤痢になってほぼ動けなくなり…心底やっておいてよかったと思いましたね。
水嶋: それは完全にリスクマネージメントってやつだ。生きるか死ぬかの話なので、リスクがハイにもほどがあるけど。それってキャリアとして華々しくは見えないことだけど、人間として常に応用が利く根本的な強さだよね。そういうところを評価できる国に、日本はなってほしいなと私は思うなぁ。
足利: あとは、日本の常識がすべてじゃないと思うようになりました。
水嶋: 詳しく言うと?
足利: たとえば、プラスチックを捨てたら環境に悪いことは日本でよくいうじゃないですか。カンボジアでは捨てる人が多いんですが、それってもともとは包装にバナナの葉を使っていて、それが文明の発展でプラスチックに置き換わったと言えるんです。そんな背景を知らずに一方的に否定できない。
水嶋: ガーナで協力隊をしていた後町さんも、近いことを話してた。
足利: 私の同期も同じで、着任してからだいたい2~3カ月くらいで「これは本当にいいことなのか」という哲学的な悩みにみんなぶつかるんです…。
水嶋: 日本と文化的背景が違う国であればあるほど、根差すほど、そういう問題にぶつかるよね。ましてや支援という立場で行くと、よりそうなるか。
足利: そんな経験もあってか、日本にいた頃よりイライラしなくなった気がします。思い通りにいかないのもおもしろいと。幸福度が高まったと思う。
水嶋: ベトナムに暮らした立場として、同意しかない話です。
このままカンボジア生活もいいと思えてきた
足利: ただ最近は、このままカンボジアで働いてもいいなって思ってます。
水嶋: お!?前に聞いたときから心境が変わったね…。
足利: カンボジアの人たちも好きだし、日本に帰ってネガティブなイメージを受けるくらいなら。ここに残るんだったら広告業界じゃなくてもいいし、逆に業界が発展してるタイに行っちゃってもいいかと思ってたところです。
水嶋: たくましさがメーターを振り切った。私は、足利さんの経歴ならタイもそうだし、ベトナムの広告業界でもきっと需要はあると思うよ。キャリアの話をしておきながらなんだけど、やはり日本の経歴は希少価値高いから。
足利: そうなんですか。ただケップにいたことで、最近は田舎に興味を持つようになりました。だから最近はかおりんの活動(※)が気になってます。
※泉野さんと足利さんは大学のアパートの隣人、これ偶然です。
水嶋: まぁ、これまでを聞いていると足利さんならいけるでしょ。とはいえ『ネガティブなイメージを受けるなら』はなんとか解決したいところだね。
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