都内の外資系IT企業に勤める角田さん。その経歴を聞いてまず感じた印象が、「4~5人分の人生を聞いているみたい」だ。海外経験にだけ絞って遡っても、スペインでの留学、ガーナでの国際協力、インドでのヨガ、中国での留学、アメリカでの留学に就労…と、枚挙に暇がない。その体験談は、言うなれば「カジュアル」に環境を変えることで人生はどう変わっていくのか、その楽しさを教えてくれる。
テレビ番組の影響でアメリカ留学
角田: 幼少期によく見ていた「なるほど!ザ・ワールド」(世界をテーマとした紀行クイズテレビ番組)の影響で、海外に住みたいと思ってました。高校の頃は英語を勉強していて、国語や数学はダメで、進学にもこだわっていなかったので専門学校経由でアメリカに留学するつもりでした。ただ、友達が「余った」とくれた大学願書が2教科だけだったので、そこを受けたら合格したので通うことにしたんです。
水嶋: すごい身軽な入学!
角田: ただ、あとから幼稚園からエスカレーター式で来る人もいるお嬢様学校だと知って、大学生活が馴染まなくて。ラクロスサークルが唯一楽しかったんですが、学費も高いし、英語の教育レベルも高いと思えなかったので、語学特化の専門学校に入り直し。そこから1年後にアメリカのウェストバージニア州にある大学に転籍して、経営学を3年間学んで、ニューヨークで1年働いたあとに帰国しました。
すでに十分な海外経験のように思えるが、これはほんのはじまり。それから角田さんの暮らしは何度も日本と海外を往来することになる。
外資系IT企業⇒中国でスピード語学習得
角田: 経営学を学び、英語も話せたので、帰国後は外資系IT企業のマーケティング部署で働きはじめました。アメリカに本社のある、パソコン購入のビジネスモデルを変えた会社。ちょうど日本でも急成長をしていた頃で、組織がたびたび変わりジェットコースターに乗ってるみたいな環境です。専攻を活かせたのはよかったけど、ストレスがすごくて夜眠れないこともよくありましたね。そんな中で先輩社員から「ここはふつうの日本企業とは違うからほかも見た方がいいよ」と言われて、「中国語や中国文化も学んでおこう」と思うようになり、5年勤めたあとにしばらくは勉強漬けの日々を送りました。
水嶋: なぜ中国語を?
角田: 就職に役立ちそうとも思ったし、仕事でも中国と関わることが多かったからです。それで退職後、国内の学校で学んで、北京に留学。1年の予定だったんですが、半年で旧HSK6級(中国の文系大学入学レベル)を取れたので、「このままいるくらいなら帰って働こうかな」と思って帰国して、外資系スポーツアパレルメーカーに就職しました。
水嶋: 中国語を学んだのだったら、現地で働く道もあったんじゃないですか?
角田: 最初はそう思っていたんですが、エネルギーが求められる中国生活に疲れたというのもありましたね。
水嶋: あぁ…なるほど。北京オリンピックの前だし、いまとはずいぶん違いそうですよね。しかし、なんでまたシューズメーカー??
アメリカに次ぎ、中国で二度目の留学生活。そうして日本に戻った角田さんが就いた職は、スニーカーで有名な外資系スポーツアパレルメーカー。中国語を活かすでもなければ、前職のような外資系でもIT系でもなかった。
外資系ITでもない、ヨガでもない、「靴」なら…
角田: ITに戻る気はなかったから、ヨガインストラクターはどうかと思ったんです。
水嶋: ヨガ!?それも一体どこから。
角田: IT業界時代に夜眠れなくて、ヨガやランニングをしてたんですよ。ヨガにはシャバーサナという寝るポーズがあるんですが、ほんとによく眠れるようになってこれすごい、って。どういうものか学んでみたいという気持ちはあったんですが、ヨガインストラクターって娑婆から抜けたあっち側の人、なんかやばそう、というイメージがあって本格的なスタジオに行くまではしなかったんですね。でも、結局インストラクターじゃ稼げる気がしなくて、ランニングもやっていたし、「好きなものならいいか」と思ってシューズメーカーに入ったんです。
なお、角田さんはこの数年後に「本格的なスタジオ」を通り越して「インドのヨガの総本山」に行き、本当にヨガインストラクターの資格を取ることになりますが、それはまたのちほど。
水嶋: ある意味、前職のストレスフルな環境が、後の職選びに活かされた訳ですね。仕事はどうでした?
角田: つまらなかったのでやめました。
水嶋: なに!
角田: 単純作業的で。発注して、納期を管理して、っていう。ラクをしたい人にはいい環境だと思うけど、退屈でしたね。
水嶋: なるほどー。それってバランスが難しいですよね。やり甲斐のある環境と、ストレスを抱え込みすぎない環境って…。業務内容はひいては組織の問題だろうし、運次第のくじ引きみたいなところがあるのかも。
角田: 結局、そのあとでグローバル展開している日系IT企業に入り7年ほど働きました。
水嶋: あ、長いですね。最初の外資系同様大変じゃなかったですか?
角田: 同じくらい大変でしたね。ただ、おもしろかったはおもしろかった。ソフトウェアを扱う会社で、大きな売上の担当を任されたし、イーコマースの世界では成果が数字で見えるのでやり甲斐はありました。
紆余曲折を経て、二度目のIT企業。日系ではあるもののグローバル展開、また経営陣に外国人が多いということもありジェットコースター的環境は変わらずだったものの、成果が目に見えて、社長賞も獲得するなど、充実の日々。それまで少なからず、役立ちそうだったり、稼ぎになりそうだったりと、選択の軸がキャリア志向だった角田さん。しかし、あることをきっかけにここで大きく変化する。
震災をきっかけに考え方に変化があり…インドでヨガ修業!
角田: その頃、東日本大震災があったんです。それからしばらく仕事が営業自粛になり、「非常時には不要な仕事をしていたんだなぁ」と感じました。計画停電も実施される中で、電気がなければパソコンが使えないし、ソフトウェアはその上にあるものなので。生きるために必要なものではないんだなと思い知らされましたね。
水嶋: それは…考えさせられますね…。
角田: その少し前から、知人が西多摩の古民家をリノベーションするのを手伝ったりとか、会社のCSR活動の一環でフィリピンの台風被災地でボランティアをしたりとか、いままでなかったジャンルの活動が増えていたんです。そこで東北での被災地ボランティアをやったこともあり、今後を考えるきっかけになりました。
水嶋: 業務の方はどうだったんですか?不要かもと言っても、それまでやり甲斐は感じていたんですよね。
角田: 実は、やれることはやったという感覚もあり、やる気を出そうとしても出ない状態になっていました。成果主義の外資系ということもあって、やる気が出ないことで「いる必要ないよね」という雰囲気も生まれていて。そういった時期と震災が重なって、しばらくは何もしたくないと思って辞めることにしたんです。
水嶋: 西多摩の古民家リノベーションやボランティア活動が増えていたことは、そういった仕事に対するモチベーションと興味の移り変わりもあったのかもしれませんね。
角田: 辞める決断を下したら途端に元気になって、軽く鬱っぽくなってたんだ、仕事をやることでこの状態が続いてしまっていたんだなと思いました。勤めていた頃は家を買ってふつうに暮らす…ということができたらいいなと思ってたけど、性格的にできないことだったなと思いましたね。
水嶋: そうですね。「ふつうの壁」ってあると思います。やり甲斐にこだわる人ほど、変化も多くて、ふつうに暮らすこととどこかで相反するのかも。では、会社を辞めたあとは、しばらくは実家でゆったり過ごした?
角田: 秋に辞める決断を下し、年末で退職予定だったので、このまま年末年始何もしないで過ごすのはダメだなと思って…今度こそヨガを習おうと、正月早々インドに行くことにしました。
水嶋: ここでまさかのヨガ!しかもインド…!
一度目はアメリカで英語と経営学、二度目は中国で中国語、そして三度目はインドへ…ヨガ!まるで習い事をするように海外へ飛び出す角田さん。いや、「飛び出す」という表現が、もしかすると本人にとっては大げさなのかもしれません。インドのヨガ修業を経てどこへ舵を切ることになるのでしょうか。まだまだ海外を巡ります。
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