海外の音大に留学というと、欧州に多い印象だが、大島さんは少数派だ。インドネシア・バリ島の芸術大学で民俗音楽「Karawitan」を学び、唯一の外国人として卒業した。そのきっかけは、旅先にあったこと、学費が安かったこと、大使館からなぜか推薦されたこと、という偶然に次ぐ偶然。その後もともと持ち合わせていたオタク気質とジャカルタのテクノロジービジネス潮流が合流し、いまは日本発の動画事業を手掛けている。
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バリの音大を卒業した唯一の外国人
水嶋: お仕事について教えてください。
大島: 名前は出せないのですが、ある会社の動画系事業で、海外展開を担当しています。
水嶋: インドネシアに長くいらした訳ですが、その「海外」にも絡んでくるんですよね?
大島: はい、インドネシアでの事業展開をしています。
水嶋: 移住当初の目的は留学、場所はバリ島。私の周りでなのかもしれないけど、あまり聞かないような。
大島: 珍しいと思います。島の芸術大学なんですが、はじめての(卒業した)外国人だったみたいです。
水嶋: はじめて!なんでまた、どんなきっかけで?
大島: これまで表向きには「島に知り合いがいて、おもしろそうだったから」と話していたんですが…実はもう少し複雑で。高校卒業のときに両親の離婚が決まっていて、このまま奨学金を背負ってFラン(ク)の大学に行ってもな…と考えていた頃に、311の震災が起こったんです。
水嶋: いろいろ重なりまくってますね。
大島: そこで当時、インターネットで日本の震災への対応が海外で叩かれたり、海外の対応との比較といった話を追いかけているうちに、自分でもふしぎと「国」という括りや成り立ちを考えるようになったんですよね。
水嶋: それ、いまのコロナと被るところありますね…。
大島: そこで「国ってなんだろう」という思いから海外に興味を持ちはじめ、バリ島に母親の友人がいたこともあって、はじめて一人で海外へ行ったんです。
水嶋: そこでなぜバリ島だったんですか?
大島: 小さい頃にアレルギーやぜんそくを持っていたので、家族で水や空気がきれいな場所へ移ろうとしたことがあったんです。その候補が母の友人が住んでいたバリ島だったんですが、いろいろと現実的でなかったのでやめたという経緯がありました。
水嶋: へー!でもお母さん、バリ島に友人いるのも珍しいですね。
大島: 母が昔、バックパッカーをしていた頃に知り合った現地の人ですね。そのつながりからほかにもいろいろな方々を紹介してもらい、アドバイスやお力添えをいただきました。
水嶋: それで、かつての移住は実現しなかったものの、大島さんはめぐりめぐってバリ島に留学することになるとは。おもしろいですね。
大島: はじめは旅行だったんですけどね。その滞在中に、島に外国人が通える大学があり、しかもなんと学費が年間5万円だということを知ったんです。
水嶋: やっすい!
大島: ですよね(笑)。安いし、島の雰囲気もいいし、民俗音楽の学科がある。バンドをやっていたことがあるので、それなら言葉が分からなくてもコミュニケーションがとれるんじゃないかと思って、帰国後にインドネシア大使館に入学手続きの相談に行って、本来の規定年齢には達していなかったんですが、例外として対応していただきました。
水嶋: 大使館にとっては民族音楽を学びたい日本人の若者がいるのはうれしいですよね。
バイクにまたがり島じゅうの民俗音楽をめぐる日々
水嶋: 民俗音楽ということですが、どんなことを何年学んだんですか?
大島: バリ島の民俗音楽で「Karawitan」という…よく日本では「ガムラン音楽」と呼ばれる銅鑼や鍵盤打楽器を使うものを、4年間学びました。
水嶋: 4年!ガッツリだったんですね。
大島: ただ、言葉も分からない状態からはじまったのではじめ大学の講義内容はサッパリで。また、民俗音楽は宗教や地元の暮らしと密接に関係していて、ある意味では彼らの生活そのものが勉強の対象で、物の見方が根本的に違うところで苦しいなと思うことはありました。
水嶋: 苦しい…たとえば?
大島: 挙げればキリがないのですが、「スタンダードの違い」ですね。たとえば授業に出てくる、ほかの学生が当たり前に知っている祭事の名前を外国人の僕は知らない。ほかにも、祈りの時間に合わせて刻まれる生活リズムを理解するまでにも時間がかかりましたし、インドネシアはインドネシア語が公用語ですが、地方語があれば、バリ人同士はバリ語で会話するし、そのバリ語にも地域やカーストごとに違ったり…。とにかくかじりついていかなきゃと終始必死でした。
水嶋: それで卒業したことは改めてすごいですね…!ぜんぜん、諦める理由としては十分ですもん。学費だって安かった訳だし。でも、地元の言葉が話せない外国人留学生という立場で、孤独感はなかったんですか?
大島: ほとんどの学生は島内の芸術高校を出ているので、そのコミュニティで集まっていることが多かったですね。一方で遠くの地域や島の出身者もいて、ひとり、40代の男性で奥さん2人とお子さん4人のいる人がいたんです。彼は英語が使えたので、話すようになりました。
水嶋: そこでもコミュニティが別れていたことがかえってよかったのか。って、奥さん2人ですか!
大島: 彼の人柄もあってか、村では認められていたみたいです。
水嶋: へぇー。
大島: そこで「うちの村においでよ」と誘われて話に乗ったんですが、道も舗装されていないずいぶん郊外にまで行くので、しばらく「拉致されるんじゃないか」と疑ってたんですけど(笑)。着いた彼の村では中心部では見られない原始的な音楽や暮らしが残っていて、同じバリ島でもいろんな価値観があるんだなと知りました。
水嶋: フィールドワークを地で行ってますね。
大島: そうですね。インドネシアは数万の島がある超他民族国家で、地方に行けばまだまだ未舗装だったり、インフラが満足に整っていない地方もあるんです。バリにもそんな風景がまだ一部にあって、その多様さが日本の長野の小さいコミュニティにいた僕からすると刺激的で、島じゅうをバイクで見て回り、同期たちと「あそこの音楽の構成はこうだった」「ここの音階はこうだった」と話すようになっていました。
水嶋: 民俗音楽を選んだ最初の動機は「バンドやってたから」だったじゃないですか。それはきっかけとして些細だと思いますけど、そのハマりようを聞くと、予想以上に大島さんの性に合ってたということですよね。
大島: それはもしかしたら、僕がオタク体質だったからなのかもしれません。昔から好きになったアニメはグッズを買い占めないと気が済まない性格で、それが民俗音楽へ興味が移った感じです。それにインドネシアの大学って文献があまり保存されていなくて、実際に現地へ行かないと一次情報が見つからないんです。
水嶋: 図らずとも最高の人選だったのかもしれない。在日インドネシア大使館、グッジョブ。
バリ島からジャカルタへ、民俗音楽からビジネスへ。
水嶋: それから、ジャカルタで仕事をはじめる!なんでまた?
大島: 勉強は楽しかったんですけど、それ以外は暇で。それこそバリ島らしいきれいなビーチが近所にありましたが半年くらいで飽きてきて、島外のインドネシア各地を回っていました。それから段々と、バリ島の村々というミクロの視点から、インドネシアの国というマクロの視点でものを見る意識が強まっていったんです。
水嶋: うん、うん。
大島: そこで旅の道中で教えてもらった「テックインアジア」というビジネス系イベントに行ってみたところ、GO-JEK(ゴジェック)※の登壇者が「テクノロジーでインドネシアが変わる」と言い切っているのを見て、本当に、雷に打たれたような衝撃が走ったんですね。
※インドネシア発のベンチャー企業。配車アプリからはじまり、現在は買い物代行や家政婦派遣、公共料金支払いに至るまで、アプリを使った総合サービス業に発展している。ベトナムやシンガポールでも展開。
水嶋: インドネシアを国として意識しはじめたタイミングだっただけに。
大島: 大学の勉強もほぼ終えている時期だったので、これから自分はビジネスを、テクノロジーを知らないといけないと思いました。すでにインドネシア語は話せていたので、ある日系の老舗コンサルタント会社で働けないかと聞いたら、「君にできるのは(頭脳労働ではなく)肉体労働くらいだよ」と言われてしまって。
水嶋: 辛辣なこと言うな~。
大島: 腹が立って、「ここをつぶせるコンサル会社をつくろう」と思いましたね。
水嶋: 最高なこと言うな~。
大島: それからいろんな人に会う中で、「イキのいい若者がジャカルタで仕事を探してる」と伝わったみたいで、あるベンチャー系のコンサルタント会社の社長からインターンの誘いがありそこで働きはじめたんです。
水嶋: 最初の企業の詳しい状況は分からないけども。現地の大学で4年学んだってふつうに戦力になると思うし、逃した魚は大きいと思いますけどね。でも、楽しかった勉強の…民俗音楽への未練はなかったんですか?
大島: はい。というのも卒業制作では2年以上かけて楽曲をつくるのですが、発表したときにやり切った感があったんです。ビジネスへの興味が移ったのは、次に燃えられることを見つけたい思いもあったと思います。
水嶋: なるほど。それで、ビジネスデビューとなるジャカルタでのインターンはどうでした?
大島: インフラ系、会計コンサル、日本のアイドルをプロデュース、なんでもやる会社でした。インターンとはいえ現地唯一の日本人スタッフだったので、ほぼマネージャー職でいろいろと経験させてもらえました。ただ、月給は5万円で、生活は大変でしたね。
水嶋: その給料は…大変ですね。
大島: 現地ではなんとか生きていけるし、インドネシアにいたいのならその選択肢もあるけれど、それは自分がダメになると。そして何より、働きはじめた当初はビジネス…お金を稼ぐことが正義だと思っていたんですが、案件に納得できるものとそうでないものが明確にあると分かったんです。言語化が難しいんですけども。
水嶋: 納得できるかどうかの線引きか…なんとなく、分かります。自分なりに。
大島: そこで改めて好きなものってなんだと考えた結果、「そういえば自分はオタクだったな」と思って。
水嶋: ずいぶん戻ってきましたね!?
大島: インドネシアでは日本のアニメやコスプレが人気なんです。名古屋で毎年開催される「ワールドコスプレサミット」という世界大会があるんですが、ジャカルタではその国内予選があり、それを運営する会社があって手伝わせてもらったところすごく楽しかった。
水嶋: インドネシアのオタク人口はかなりのもんだと聞いたことがあります。
大島: それから社長に直談判して、担当事業は違ったんですがその会社で働くようになり、イベントも定期的に手伝ったあと、いろいろな事情があり2018年のおわりに帰国しました。そこからはフリーランスとして通訳や翻訳に、アドバイザー的なことをしていたのですが、巡り合わせもあって、友人から現在の会社を紹介してもらい現在に至ります。
海外での経験が仕事に生きていること・与えた価値観
水嶋: ありますか?現地経験がいまの仕事に生きてることや、与えた価値観。
大島: 言葉の正しい使い方を理解できたと思います。
水嶋: 興味深い言い回しだ、具体的には?
大島: 母語の日本語だとあまり考えずに話せてしまいますが、外国語だといったん整理する必要があるので、この相手ならどう受け止めるか、性格や背景を考えるようになる。それは日本でも活かせる習慣となりました。
水嶋: あぁ、それは、外国語を学んでみないと見えない景色かも。
大島: あともうひとつあって。
水嶋: はい。
大島: インドネシアの国是(こくぜ)に「多様性の中の統一」という言葉があります。膨大な国土に何千の民族がいる上で、インドネシアというアイデンティティを持っている。それぞれの価値観は違っていて当たり前で、むしろ多様性があってこそ輝くものなんだと示している。それは自分の価値観にもなっています。
海外経験のキャリアに悩む友人がいれば何と言う?
“自分が楽しいことは何なのか、まずはトコトン突き詰めてから考えた方がいいよと言います。目的と手段が、自分の中で納得されたものでないとなんでも続かない。(大島空良/2012~2018・インドネシア在住)”
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