アメリカ留学&就労、国内の外資系IT企業、中国留学、外資系スポーツアパレルメーカー、そしてグローバルに展開する日系IT企業で働いた角田さん。しかし、仕事に対するモチベーション低下や、自然やボランティアへの興味の移り変わりを機に退職。「1年間は何も(仕事は)しない」と決めた中でまず行おうと思ったものは…「インドでヨガの修行地でインストラクターの資格をとること」だった。そこから以前と大きく、キャリアの軸が変わっていくことに。
目次
南インドでヨガ修行、価値観の異なるおもしろい人達との出会い。
角田: 「シヴァナンダヨガ」という世界各地に拠点のあるヨガの団体があって、南インドにアシュラム(修行地)があるんです。毎月世界中からヨガを習いに来る人がいて、そのインストラクターコースに参加しました。
水嶋: 少し前まで外資系ITでバリバリ働く感じだったのに、もはやちがう人の人生みたいだ…。過去にヨガをやりつつも「あっちの世界」と敬遠してただけにおもしろいですね。ちなみにインドははじめてだったんですか?
角田: いえ、アメリカ留学時代、インド人の友人の実家にホームステイしていたので二度目でした。あと小学生の頃に妹尾河童のインドの本を読んでいたので、興味はあったんです。
水嶋: なるほど。学生時代に行ったというのは心理的ハードルに影響してそう。
角田: アシュラムでは一カ月半ほど講習を受けていたんですが、日本人の知り合いもできたんですよ。講習はいろんな言語の通訳が付いているので、世界中から300人くらい集まっていたんですが、うち50人が日本人。
水嶋: 日本人の本気のヨガ需要…!日本人に限らずすごくユニークそうですね、その面々。
角田: そうですね。正月早々からひたすらインドでヨガをするって、お金に執着しないような人たちで。いままでの自分とは価値観の違う人ばかり集まっていて、おもしろかったです。
水嶋: 子どもの頃は地域の学校の同級生たちも価値観が違うといえば違うけど、分別のつく大人になってからそうした環境に飛び込むってあんまりないですよね。大事だなと思いました。それで、ヨガ修行のあとは?
角田: 「1年は何も(仕事は)しない」と決めていたので、ひたすら、ごはんをちゃんとつくって食べて、気になる本を読みあさって、寝て、という生活を送っていました。それから「そういえばヨガで知り合った人が瞑想勧めてたな」と思い出して10日間の瞑想コースに参加したり、姉と二人で二週間トルコ旅行に行ったり、スペインのサンティアゴ巡礼路を400km歩いたり…という感じ。
水嶋: なんかもう、これ言うのっていまさらな気がしますけど、角田さんは新しいことに踏み出すストッパーが外れてますよね。すごい。時間があっても心理的に踏み出せない人も多いと思うので。英語に難がないというのもあるとは思うんですが、「思い立ったが吉日」をここまで実践している人もそうはいないなと思います。
角田: アメリカ留学時にいろんな国から来た留学生と友達になったり、インドやペルーの友人宅に行ったり、「英語が理解できればどうにかなる」という経験から心理的なハードルが下がっているんだと思います。あと、私の中では、地元のある関東以外に住むより、海外に住むことの方がハードルが低いです。英語学習からはじまり、新しい語学を学ぶことで理解できなかったこと(その国の文化や食言語)がわかることの楽しさも知っているので。
社会人として働く暮らしから一度足を止めて、以前から気になっていたヨガの世界に飛び込み、帰ってきた角田さん。それからも思う存分に興味を実行する姿は、まさに漫画や映画でいう「伏線回収!」という印象を抱きます。それから次は、震災前後の状況(前編参照)にもつながってくる、国際協力という道へ。
ガーナの国際協力で経験「生きてるだけで辛い」
角田: 退職から10カ月くらい経った頃、そろそろ次のことを考えないとなーと思って。そんな中、前職(日系IT企業)の同僚がカンボジアのNPOで働いていて、そこでボランティアをした際、役員の人がたまたま元JICA(※)の人だったんですね。そこで「昔青年海外協力隊に行きたいと思ってた」という話をしたら、「受けたらいいんじゃない」と言われて。半年近くかけて審査と面接に通って、本命は中南米のスペイン語圏だったんですが、第三希望で出していたガーナに派遣されることになりました。
※外務省が所管する、政府開発援助の実施機関。開発途上地域等の経済及び社会の発展に寄与し、国際協力の促進に資することを目的としている。世界各地の開発途上国に、課題解決を目的として派遣員を送る「青年海外協力隊」(総称は「JICA海外協力隊」)で有名。
水嶋: 協力隊としての活動はどうでした?
角田: 正直なところ…いい経験とは言えなかったですね。派遣先は、地元の女性に職業訓練を積ませるというNGOでした。石鹸のつくり方など自立して収入を得る手段を教えているんですけど、売って利益を上げて運営費に充てて、ということまではしないから、援助金が組織に落ちたところで終わっている点にも疑問があって。私自身の生活環境も、セキュリティ上窓のない部屋になるのですが、エアコンもなければ半日停電ということもあって、おそろしく暑く、「生きるだけでこんなに辛いなんて」と思ったのは初めてでした。
水嶋: 組織のお金まわりについては、角田さんが日本で社会人として、しかもマーケティング業務をバリバリやってただけに見えてしまう部分もあったんだろうなと思いました。かと言って、合理的と言えない環境で、「支援してきた!」と満足して帰っていくというのも、それが誰のためになるんだという気はしますけど。
角田: ただ、あの経験によって、海外に幻想を抱かなくなりましたね。結局、いまいる場所がいやと感じて海外を求めていたところもあったと思います。そんな中で、「新興国ならみんなゆったりと幸せに過ごしてるに違いない」なんてことはなくて、国や人が変わったところで人間の根っこは同じだなと思いました。
水嶋: 「海外に幻想を抱かなくなった」っていうのも、角田さんの海外遍歴を聞いているだけに「そのタイミングで!?」って気はしますけど(笑)。でもそれって、いままでよかったと思えることが必ずあったということなんでしょうね。幻想を抱かないってすごく大事だなって私も思います。あるのは現実だけですからね。
これまでの海外経験は充実したエピソードでしたが、一転して「生きてるだけで辛い」という環境に。しかしその体験がしばらくしてから、間接的に後のキャリアにつながることになります。
ペルーでの原体験からスペインに行ってみたかった
角田: 結局ガーナは任期の2年を経たずに帰ることになり、実家で3カ月くらい過ごして、「スペインに行かないと」って思いまして。
水嶋: インド、ガーナ、と来て、スペイン!あれ、でもサンティアゴ巡礼で行ったんですよね。
角田: そうなんですが、アメリカ留学時代にペルー人の友達の家に遊びに行ったことがあって。向こうは日系人も多いからか親近感も持ってくれることもよかったんですが、あれが人生初の新興国だったんですね。誰も時間を守らなかったり、乗り合いバスの人が叫んでたり、日本人と違ってみんな天真爛漫なところとかが衝撃的で、「いつかスペイン語圏に住んでみたい」と思っていたんです。協力隊の本命が中南米のスペイン語圏というのも、それが理由でした。
水嶋: そうか、巡礼は観光的な要素もあるし、それでスペインに滞在しようと。
角田: 1年間の学生ビザをとって語学学校に行くつもりだったんですが、残高証明書と直近5年間の無犯罪証明書が必要で。でもガーナにもいたので、現地の警察署から無犯罪証明書を取り寄せるって、不可能では?…と思って。
水嶋: そ、そうかもですね…。
角田: それにあまりに長いと楽しめなくなっちゃうかなというのもあったし、スペインのマラガというリゾート地で3カ月だけ学びに行きました。
スロースタートがふしぎと再び国際協力関係の仕事に
角田: 帰国後、このままニートになる訳にはいかないなと思って派遣会社に登録しました。社会人時代から4年近くブランクが空いていたので、スロースタートとして。そこで紹介されたのがなんとJICA関連の仕事だったんですね。
水嶋: また!
角田: 協力隊の件もあったのでもうしないと思っていたんですが、ピンと来て選んだのが、たまたま。
水嶋: まー、経歴を見れば海外遍歴もすごくあるし、英語も話せるし、IT業界を除けば志向的にそうなるか…。
角田: 数人だけでやっている小さな財団法人で、起業予定の日系人向けの研修旅行を行っているところ。組織内での連携は大変でしたが、おもしろいといえばおもしろい仕事でしたね。中南米諸国から研修員が日本に来るのですが、研修旅行で見学先の企業を探したり、旅行全体のプランニングを行ったり、資料を英語にしたり。
水嶋: 彼らは日本で起業するんですか?
角田: いえ、自分の国でですね。
水嶋: なんか、日本って、知らないところでいろいろやってるんですね。
日本での激務を得て、インドやミャンマーで心と身体を充実させ、ガーナでの体験を経て、スペインを少し挟んで社会復帰のためにスロースタート。日系人向け研修業務のあと、角田さんが選んだ道はこれまでと違った…と思いきや、再び、いや三度目の外資系IT企業でした。
自分は海外と日本をつなぐ「出島」だと思っている
角田: そこで2年働いたあと、「やりたいこと」「できること」「求められていること」、それらのバランスがとれている仕事は何だろうと探しつづけて、再び外資系IT系の会社で働いています。自分が慣れていて、かつ経験を活かして見合った収入が得られるのはこういう仕事だなと。
水嶋: それでも過去、外資系ITの仕事で辛かった時期もあったじゃないですか。その意味では、三度目の挑戦。当時から心境の変化もあった、ということですか?
角田: ありますね。「頑張れ」と言われても体力的に昔ほどは働けないし、自信がついたからか、いまは「限界までやらなくても大丈夫」と思えています。ただ、常にいろんなことが起こるのが会社なので、意味の分からない仕事が振られることもあるかもしれないけど、それも起こり得ることだと割り切っている。
水嶋: 達観、のようにも感じられるのですが、それは海外経験も影響していますか?
角田: します。さっき話したように、ガーナにいたとき、「ただ生きるだけがこんなに辛いなんて」と本当にびっくりしたんです。その前に働いていた外資系ITも辛かったけど、電気もあれば水道もあるし、電車だってあるじゃないですか。
水嶋: ははは!そりゃそうだ、説得力がすごい…!
角田: 上司や同僚によく「私は出島で働いてると思ってる」と言うんです。海外と日本をつなぐ出島に。日本の侍に大きな黒い船が来たと言っても信じてもらえないから、間に入って翻訳する仕事。上司は英語を使うし、日本人は日本語を使うので、情報はやっぱり言語に依ってしまう。外国人の上司もそれを聞いて「へー、そうなんだ」と言うだけなので、言いたいことが伝わってないとは思うんですけど。でも、その間に入ることが、大変ながらも楽しいと思う。今後はもっと、日本と海外を行き来して仕事をするようになりたい。そうした理想につながるようなことをこれからも学んでいきたいと思ってます。
アメリカ、中国、インド、スペイン、ガーナ、数々の国で暮らした角田さん。海外、というよりも、知らない環境にヒョイと踏み出すフットワークの軽さ(しかし思いは決して軽くない)もこの記事で伝えたいところではあります。しかし、それ以上に、「辛かった経験への耐性が海外を経て身に付いた」というのは、私自身も考える海外経験の本質的なところだと思いました。
海外で暮らすということは、よく現地での環境にスポットライトがあてられがちですが、その人自身の変化というものが何より大事なんじゃないかと思うんですね。その国にいようが、日本に帰ろうが、違う国に移ろうが、自分に一生ついてまわるものは自分しかいないから。このメディアの目的のひとつは、「海外経験者が活躍できる日本にすること」なんですが、その上ですごくいい話を聞けたなと思います。
最後に余談ですが、角田さんを紹介してくれたのはスペインでの語学学校があったマラガのつながりの方で、その方もまた南米に住まれていたことがあり、そのときに私がベトナムでやっていたブログを読んでいてくれたという縁で今回つながりました。縁ってふしぎ!ありがとうございます!(ほかにもたくさんの方をご紹介いただいてるけど…)
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